2006年12月27日

乙女とオバハン


 以前、日経新聞夕刊の連載『こころの玉手箱』に、田辺聖子が登場していた。

 そのなかで、「千代紙」について触れた回があった。田辺は、
「もようが可愛くて好きで、たくさん集めている」
という意味のことを言っている。
 そして、その千代紙をどうするかというと、空き箱に貼って、物入れとかにするのだそうだ。
 私はそれを読んで、「乙女」と「オバハン」(←悪い意味ではなくて、おとなの女性らしい落ち着きがあり、良い意味で現実的、でも女性としての可愛さもある、というニュアンス)が同居している……、と思った。

 田辺は戦前、大きな写真館のお嬢さんだったらしい。
 それから齢70年以上を重ね、日本を代表する大ベテラン作家のひとりとなった今も、スヌーピー愛好家で、宝塚ファンとしても有名だ。おとなの職業人でありつつも、乙女のような可愛さ、みずみずしい感性を持っているのだろう。

■おとなの鑑賞に耐える恋愛小説

 私は20代後半のころ、一時期、田辺聖子の小説に凝っていた。

 田辺の書く、「おとなの恋愛小説」が好きだった。

 登場人物は、女性も男性も、30代以上。作品によっては50代、60代だったりする。年齢を重ねているから、良くも悪くも人間としてのくさみがあって、それがまた魅力だったりする。

 コドモ(若者)向けの恋愛小説のように、非現実的な美しさはないのだが、却ってリアルで良かった。それでいて、ちゃんと甘みがあって、関西ものらしい可笑しみがあって、ちょっぴりペーソスも入っている。おとなの鑑賞に耐える恋愛小説だと思った。

 今でも、日本には、おとなの鑑賞に耐える恋愛小説はあまりないように思える。ただエッチなだけだったり、ただの不倫小説なら、いっぱいあるけど。(でも、いまはもう、恋愛小説は読まない。おもしろいとは思わなくなってしまった)

 田辺聖子は、森瑤子と並んで、20代後半の私にとって、「おとなの恋愛小説」だった。


posted by 田北知見 at 16:42 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | よいこの読書感想文

2006年12月06日

古代ロマンにハマる

 星野之宣のマンガ「宗像教授」シリーズに凝っている。『宗像教授伝奇考』と『宗像教授異考録』の各巻だ。
 大学教授の宗像伝奇(むなかた・ただくす)氏が、日本各地へ、フィールドワーク(?)に行き、そこで事件に巻き込まれたり、見聞きしたことから、歴史を大胆に解釈する、という内容だ。

 考古学から古代史、近世史まで、また民俗学なども含めて、幅広く取り上げられている。
 考古学では、ヒミコの「鏡」の在り処についてとか。
 上古・中世史では、平将門や、源義経の足跡とか。
 近世史では、5代将軍・徳川綱吉が、大人になっても体と心の一部が成長しない障害を持っていたのではないか、とか。
 雪女の正体は、冬の間、雪に閉じ込められる寒い地域で、事実や体験をもとに、物語をつむぐ過程で造形されていったものではないか、とか。

 それと、日本の神話やおとぎ話。
 遠くはギリシャ、近くは太平洋の島々やアジア各地に、類似、またはバージョン違いのものがある、という内容がたびたび出てくる。製鉄技術や仏教などとともに、伝来したのではないかという解釈だ。

■たとえば「スクナビコナ」の解釈

 たとえば、「スクナビコナ」は、『古事記』に、
「船に乗って、海からやって来た、小さな神」で、
「医薬などの知識等を、出雲の神であるオオクニヌシらに授けた」
「国づくりが終わった後は、海の彼方の、常世の国へ去った」
と記述されている。

 これを、宗像教授は、
「南方から、平均身長が低く、かつ先進技術を持った民族が、集団で日本に渡来し、定住したのではないか」
「しかし、先住民は、彼らから先進技術だけ吸収して、後は彼らを皆殺しにしてしまったのではないか」
と解釈する。

 話は飛ぶが、安彦良和の、古代を舞台にしたマンガ『ナムジ』では、スクナビコナは、障害があって身体は大きくならないのだが、知恵と知識をたくさん持っている、古老のような人物としてえがかれている。

■ロマンあふれる古代史

 考古学や古代史でおもしろいのは、自在に解釈ができる点だ。

 以前、やはり読んだ話で、古事記に、
「大陸から遣わされた文が、黒い紙に書かれていたので、日本の学者が読めなかった」
というくだりがあるのだが、それは実は、
「日本の学者というのは、大陸や半島からの渡来人の子孫で、日本に渡来してから数十年か数百年が経っていたので、彼らの祖先が大陸や半島にいた時と、中国語が変わってしまっていたので読めなかったのではないか」
ということだったのではないか、という説を読んだことがある。
 それは確か、作家とかのフィクションではなくて、専門家の研究によるものだったと思う。
(記憶があいまいなので、違ってたらすみません)

 邪馬台国の畿内説/九州説もそうだし。
 同じ九州説でも、さまざまな場所が比定されている。
 だいたい、佐賀県内とかの九州北部や宮崎県内あたりが多いようだが、やはり以前、読んだ話で、松本清張が、大胆な解釈で、大分県内(だったかな…確か…)を比定していたのには驚いた。

 また、司馬遼太郎は、八咫烏(神武東征の際に道案内をしたとされる鳥)を、日本先住民の海洋族と、大陸または半島からの渡来系民族との、悲劇の混血児としてえがいた。
 肌の色が濃く、剽悍で、船を巧みにあやつる海洋族。
 背が高く、のっぺりした顔で、黙々と田を耕す渡来系民族。
 そのコントラストが鮮やかで、古代の情景が、生き生きと目の前に浮かんでくる気がした。
posted by 田北知見 at 13:56 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | よいこの読書感想文

2006年09月28日

アメリカのオーダー

 岡本行夫の『砂漠の戦争』を読んだ。
 2003年に、イラクで井ノ上正盛書記官とともに殺害された、外務省の奥克彦大使と活動した時のことを軸に、岡本氏がイラクや中東諸国で見聞きした話、それについての考えなどが書かれている。
 私自身の考えは、岡本氏のタカ派でアメリカ一辺倒のご意見とは違うので、その部分は参考程度に読んでいるが、見聞のルポの部分は真剣に読んだ。

 いくつか印象に残った点はあるが、そのうちのひとつ。

 岡本氏が、
「アメリカと、喧嘩をするわけにはいかない」
という意味のことを書いていた。
 私は驚いた。と同時に、これまで謎だったことが腑に落ちた気がした。

 驚いたのは、私にとって、いやたぶん、一定以下の年代の多くの人には、「アメリカと喧嘩」という発想自体がないからだ。アメリカは同盟国であり、「憧れの国」だ。太陽が東から昇って西に沈むのと同じくらい、動かしがたい事実であり、自明の理だと思っている。
 でも考えたら、一定以上の年代の多くの人には、直接、間接的に、アメリカとの戦争の記憶があるのだろう。だから「アメリカと喧嘩…」とか「アメリカは怖い国だ」という抜きがたい気分があるのか、と気づいた。
 私はこれまで、日本人の一部の人たちがどうしてあんなにアメリカの言いなりになるのだろう、と、とても謎だった。たとえば基地問題とか、貿易・経済面とかで。
 よく冗談で、日本はアメリカの51番目の州だとか、自民党は共和党東京支部だとかいう話を聞いて、
「中国や韓国には、ちょっと何か言われたらすぐ『内政干渉だ』とか反発するのに、アメリカのオーダーには、なぜあんなに一生懸命従おうとするのだろう」
と、すごく謎だったのだ。
 でもそうか、と腑に落ちた。あの人たちにとって、アメリカは、言う事を聞かないと恐ろしいことになってしまう相手なのか。

 そこから敷衍して、気がついた。
 日本人の一部の人たちは、「中国脅威論」を声高に叫んでいる。
 私にとって、いやたぶん、一定以下の年代の多くの人にとって、中国は「偉大な途上国」だ。歴史はあるし、最近の経済成長や生活水準の向上は数字が表しており、立派な大国だということは理屈ではわかっているのだが、やはり、どこか「永遠の途上国」というイメージがある。
 けれども、一定以上の年代の多くの人には、「当時の雰囲気」や「大人たちから聞いた話」のようなものまで含めて、まだ中国との戦争の記憶が残っているのかもしれない。それでつい、「油断のならない国だ」と敵視してしまうのではないか。

 …と思ったりした。
 アメリカは何があっても仲良しの国で、中国はずっと途上国。私のこの考えは、国際社会では「甘すぎ〜」と笑われてしまうのだろうが。

 とはいえ、日本の新政権に対して、アメリカから「中国と仲良くするように」とのオーダーが出ている。どっちにしろ、日本はアメリカとも中国とも、これからも仲良くしていかなくちゃいけないのだから、いいのだ。
posted by 田北知見 at 12:14 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | よいこの読書感想文

2006年09月27日

文芸と狂気(ちょっと大げさ・・・いやかなり大げさかw)

 秋になると、大好きな藤沢周平の時代小説が読みたくなる、と以前にもこのブログに書いたが、自分のペースで晩酌をしながら好きな本を好きなだけ読む。至福の時である。
 つめたく冷やした日本酒に、サシミ、煮物、とかの組み合わせが好きだ。日本酒はできれば京・伏見の複雑な味のものか、中四国の素朴でヌルい感じ(褒め言葉ですw)のもの、新潟の辛口のもの。私にとってはちょい贅沢な『上善如水』か、コンビニで売ってる『酔鯨』の安いラインのものでも、私にはじゅうぶん旨い。
 サシミは…デパ地下で買う、禁断のクルマエビがベスト。なぜ「禁断」なのか? 高いから(笑)。たまの贅沢だ。ふだんはスーパーで買うマグロでじゅうぶん幸せ。でも最近、燃料高のせいか、値段は変わっていないのだが、身の盛りが少なくなっている。トホホ。

 いかん、本の話を書こうと思ったのに、つい。

 で、藤沢周平。
 先日読んだのは、比較的初期の短編集『又蔵の火』。1970年代くらいに書かれた、直木賞を受賞後すぐのころの作品集らしい。
 暗い。最後に主人公が死んじゃう話が多く、しかも自業自得で救いがない。うう…。

 10年ちかく前、私が最初に読んだ藤沢周平の本は、町人ものの短編集『橋ものがたり』だった。登場人物たちはつらい境遇にいたりするのだが、仄かに明るくて、あたたかみのある雰囲気が気に入って、まずは町人ものの短編集を何冊か読んだ。それから武家ものの短編集、ハードボイルドもの、長編、歴史もの…と読み進んだ。
 その過程で、彼の出世作である『溟い海』や、直木賞受賞作『暗殺の年輪』を読んだ時、そのあまりの暗さに、
「なんじゃこりゃあああ!」
と驚いたのだった。

 藤沢は実際、
「初期の作品は確かに暗いと自分でも思う。読む人にどう取られるかというよりも、ああいったものを書かずにはいられない、自分でもどうしようもないものを抱えていた」
という意味のことを書いている。

 話は飛ぶが、松本清張の芥川賞受賞作『或る「小倉日記」伝』を読んだ時も、最初から最後まであまりに暗く悲惨な主人公の人生に、私は、
「こ…これで終わり…? 救いはないの? 救いは…?」
と茫然とした。(いや、もちろん分かっている。主人公にとって、小倉日記伝を書くこと自体が救いだったということは、私にも分かっている。)

 詩人の中原中也は確か、
「自分のすぐ横に、暗い穴が開いていて、気を緩めるとそこへ陥ってしまう」
みたいなことを書いていたと記憶している。「暗い穴」とは、狂気の世界だろうと私は思った。
 芥川龍之介の自殺の原因「ぼんやりとした不安」も、狂気とか鬱とか、そういう種類のものではなかったかと、しろうと考えで私は思っている。

 ゴッホの絵を見て私がいつも感じるのは、
「これを描かなければ…僕は…狂ってしまう…」
という魂の叫びだ。自分のなかにある狂気を、絵の具に託してカンバスにぶつけているように見えるのだ。

 文芸をはじめとした芸術の源は、いろいろある。自然の美しさへの礼賛、神への祈りや感謝、表現そのものを目的とした作品、等々。
 自分のなかにある暗さや狂気の発現も、そのひとつかもしれない。
posted by 田北知見 at 12:09 | 東京 | Comment(0) | TrackBack(0) | よいこの読書感想文

2006年09月21日

秋になると

 最近、涼しい。
 秋になると、私は藤沢周平の時代小説を読みたくなる。なんでだろう?

 藤沢周平は山形県鶴岡市郊外の出身だ。そのせいか、というか、私が勝手に感じてしまうだけなのだが、春の描写でも、
「暖かくなったと油断していると、思わぬ寒い日もあって…」
みたいな表現がよく出てくる。
 夏の盛りの蝉しぐれの時期を描いていても、どこか涼しさを感じてしまう。なんでだろう。登場人物の爽やかさゆえだろうか。

 10年ちかく前、私が山形県に旅行したのもこの時期、9月だった。
 当時はまだ藤沢周平の作品…というか、時代小説じたいに興味がなくて読んだことはなかったので、鶴岡市はあまり時間を取らなかった。

 最も憶えているのは、色づき始めた一面の稲穂だ。美しく、豊かな、瑞穂の国の風景だと思った。

 私は秋田県を旅行してから日本海に沿って南下し、山形県はJR羽越本線で遊佐町、酒田市、鶴岡市と旅行した。庄内平野の豊かな実りと、港町として栄えた商都(酒田)と城下町(鶴岡)としての文化的厚みが印象に残っている。
 豊かな、それでいて北国という場所柄、油断すると貧しい地域に転落してしまう可能性のある所だったのだろうなと思った。

 もうひとつ、記憶に残っているのは、鶴岡市近郊にある羽黒山だ。
 頂上のほうに神社があり、そこまで車でも上がって行けるのだが、せっかくなので、私は数千段あるという石段を、歩いて上がった。
 山の中の階段をひたすら上がる。石段以外には何もなく(途中に1軒だけ、お店があったと思う。記憶違いだったらすみません)、木々が茂り、ひと気がない。たまに遭っても、すれ違ったり、追い抜いたりしてしばらくすると、もう姿が見えなくなる。人声もせず、車とかの音もせず、聞こえるのは木がざわめく音だけだ。
 美しくて、良いところだと思ったが、同時になんだか怖かった。昔は(今でも)修験道の場というだけはあると思った。
 そして、途中に突然、五重塔がある。
「こんな山の中に!? どーやって材料を運び上げ、建立したんだ!?」
と思ってしまった。
 いろいろと、良い体験をした。ディスカバー、ジャパン。ってか?
posted by 田北知見 at 10:59 | 東京 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | よいこの読書感想文

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