2006年06月26日

歴史マニア?は
こうしてできた(←おおげさだなあ)

 このブログで4月10日に入れた『日本的な美』に、先日、トラックバックをいただいた。『e−モーニング』さんだ。私の好きな山田芳裕のコミック『へうげもの』について触れたからだろう。

 コミック誌『週刊モーニング』は、20代後半〜30代初めのころに毎週読んでいた。井上雄彦の『バガボンド』が好きだった。(現在も連載中)
 初めてバガボンドを読んだ時、ものすごく驚いた。歴史もの、時代もので、人物をここまで生き生きと、ストーリーをここまで面白く描けるのか、と驚いたのだ。すごいと思った。
 人物もストーリーも、原作の吉川英治の小説『宮本武蔵』を下敷きにしてはあるのだが、全く違う作品だ。共通点は、人物が魅力的なことと、ストーリーが「次どうなるんだろう、次どうなるんだろう」とワクワクする面白さ。

 中学生か高校生の時に、初めて司馬遼太郎の小説を読んだ時を思い出す。『項羽と劉邦』だった。人物描写も、戦さとかの情景も、まるで見てきたように描かれていて、衝撃を受けたのを憶えている。ワクワクしながら読んだ。
 それまで、私にとって歴史とは「暗記科目」で「つまらないもの」だった。
 が、司馬の小説を読んで、歴史とは、私たちと同じ人間の、生きざまの集積であり、人間ドラマなのだ、と初めて気づかされた。(←また大げさですみません)
 以降、歴史ファンになった私は、史跡や博物館めぐりを楽しみ、歴史・時代小説・コミックを読み続けている。…マニアック…?


posted by 田北知見 at 13:23 | 東京 ☔ | Comment(0) | TrackBack(1) | 趣味に走ってスミマセン

2006年06月23日

W杯 ブラジル戦
テレビ観戦 シロートの雑感

 サッカー ワールドカップ ドイツ大会で、23日早朝(現地時間22日夜)に行なわれた日本−ブラジル戦をテレビで観戦して思ったこと。

 シロート目にも、
「うわー…、ぜんぜんレベルが違うわ…」
ということはハッキリ判った。
 前半、日本チームが1点先取した後、前半ロスタイム、ロナウドが同点ゴールした時。ロナウドは、人差し指を立てて軽く振っていた。まるで、
「まずは1点」
と軽ーく言っているように見えた。
 後半になるとさらに、彼我の力の差はシロート目にも歴然で、日本選手はほとんどボールに触らせてもらえず、ほとんどサッカーができなかった。

 それは、いまの日本のサッカーのレベルを表しているだけのことだ。個々の選手の努力不足とか、そういう話ではない。
 どころか、よくがんばった、と思った。
 私くらいの世代〜上の世代の人の中には、こんな感想を抱いた人も多かったのではないか。
「ワールドカップみたいな大舞台で、たとえばロナウジーニョのような世界トップクラスの選手と、日本チームが、同じフィールドで試合をしている。こんな光景を、自分が生きているうちに見るとは思わなかった」
 日本のサッカーのレベルは、すごい速さで、格段に上がっている。シロート目にも、それはハッキリ判った。

 試合後、いつもは茫洋としている中村俊輔が、涙をこらえながら(と、私には見えた)、
「残念です」
と唇を噛んでいた。
 いつもはクールな中田英寿が、「ちきしょう」といった風情で、ピッチに転がったまま、しばらく起き上がれずにいた。
 うん、こんだけ口惜しがれるなら、大丈夫、と思った。

 私はNHK総合で観ていたのだが、中継の最後の数秒、中田英寿が倒れていた身体を起こし、サッと上着を着た。それから立ち上がり、まるで次の試合に向かうように決然と歩き出した。
 これからの、日本のサッカーの姿を象徴しているように見えた。
posted by 田北知見 at 10:56 | 東京 🌁 | Comment(0) | TrackBack(6) | 趣味に走ってスミマセン

2006年06月19日

W杯 クロアチア戦
テレビ観戦 シロートの雑感

 サッカー ワールドカップ ドイツ大会。18日に行なわれた日本−クロアチア戦をテレビで観た、シロートの感想。

 野球でいうと、こんな感じか。
「打たせて取る。いやあ、素晴らしい守備戦でしたね」
 相撲でいうと、こんな感じかな。
「もう一歩、前に出る相撲をですね…」

 試合後のインタビューで、中田英寿が言っていた。
「前半はパスを回していたが、後半は回させられていた」
 シロート目にも、後半は、
「いるべき時にいるべき場所に選手がいない」
ように見えた。ピッチに、クロアチア選手は10人、日本選手は5人しかいないように見えた。ディフェンスにしろシュートにしろ、
「もう一歩が足りない」
ように見えた。

 しかし酷暑のなかで、2時間近く走りっぱなし。しかも頭を使いながら、ボールを扱う高度な技術を使いながら、緊張感を持続させながら、である。そりゃあ大変だわ、ということは、シロート目にもはっきりわかった。

 試合を観ながら気になったこと、もうひとつ。
 私は民放のテレビ朝日で観戦したのだが、アナウンサーと解説者、合計3人の実況が、うるせー、と思った。昔の古館伊知郎ふう、というのだろうか。
「おおっとおー! ○○だあー!」とか、
「○○(選手の名前)、行ッけー!」
と絶叫(のように、私には聞こえた)したり、3人が同時に、てんでに言いたいことを興奮して(のように、私には聞こえた)言ったり。
「…この3人って…プロのアナウンサーや解説者なんだよね…?」
と思った。
 それに、スタジオと実況のつなぎ役(というのか?)にナイナイの矢部氏を使ったり。私は、
「…私がいま見てるのは、テレビ朝日だよね…? フジテレビじゃないよね…?」
と、新聞のテレビ欄を何度か確認してしまった。
 あと、試合後のインタビューとかの中継のダンドリやつなぎの悪さ。
「テレビ朝日って、スポーツ放映の人材やノウハウが薄いのかな…?」
と、余計な心配までしてしまった。

 ともあれ、次のブラジル戦。がんばれ!
posted by 田北知見 at 10:11 | 東京 🌁 | Comment(0) | TrackBack(1) | 趣味に走ってスミマセン

2006年06月13日

W杯 オーストラリア戦
テレビ観戦 シロートの雑感

 サッカー ワールドカップ ドイツ大会の日本チームの初戦が12日にあった。テレビで観戦しながらの、シロートの独り言。

 前半26分 中村俊輔のゴール。
「え、うそ、入った? 入ったの? 有効? オッケー? やったー!」

 その後、数十分の間。
「あんなに打ってるのに、なんでゴールに入らないんだろう…?」(←シロート目からの素朴な疑問。2002年日韓大会の時も、けっこう思った。いやもちろん、キーパーやディフェンダーのスキを狙って、高度な技術を使ったゴールをはなっているのだろうが)
「なんか…パスをつなぎ合ってるだけに見えるんだけど…?」(←1998年フランス大会の時も、けっこう思った。いや実は、フォーメーションが…とか、いろいろ高度な駆け引きが行なわれているのだろうが、シロート目にはわからん)
 ただ、シロート目にも、中田英寿や宮本恒靖は、いるべき時に、いるべき場所にいて、出すべきパスを出したり、ディフェンスすべきディフェンスをしていることはわかった。老練、という言葉が浮かんだ。

 後半、試合開始から84分 ケーヒルのゴール。
「あー…。でもまだ同点だから…」
 89分 ケーヒル、もう1回ゴール。
「ああー……」
 さらに、アロイジのダメ押しの1点。
「あああああ……」

 試合終了後のインタビュー。宮本恒靖の形相がすごかった。自分(たち)への怒り、くやしさといったものが形になってそこにある。そんな顔だった。変な言い方だが、
「いい顔をしている」
と思った。
 次は、やってくれるに違いない。

 さあ、クロアチア戦だ!
posted by 田北知見 at 10:20 | 東京 🌁 | Comment(0) | TrackBack(1) | 趣味に走ってスミマセン

2006年06月12日

ふつか酔い

 ふつか酔いである。
 やはり、ワインを2人で1本あけた後、焼酎をロックで何杯か飲み、それからカクテルその他を数杯も飲めば、ふつか酔いにもなろう。
 しかしワイン。ナパ・ヴァレー(←米カリフォルニア州にある地域名です、確か)のピノ・ノワール(←ぶどうの種類の名前です、たぶん)のもので、2001年のだった。美味しかった…幸せ…。夜景もきれいでハッピーだった。
 いやしかしふつか酔い。いかん。今夜はサッカー ワールドカップの日本−オーストラリア戦を観ないといけないのに。

 最近このブログ、「ビジネス」からどんどん離れていっている気がする。すみません。
posted by 田北知見 at 11:02 | 東京 🌁 | Comment(0) | TrackBack(3) | 趣味に走ってスミマセン

2006年06月08日

お酒って、昔から

 しつこくて申し訳ないが、古典ネタ、もういっぱつ。

 『万葉集』を読んでいて、今回、ツボにハマったのはもうひとつ、大伴旅人の『酒を讃える歌』。
「賢しみと 物言ふよりは
  酒飲みて 酔哭(ゑひなき)するし 益(まさ)りたるらし」
 意味は「賢ぶって小難しいことをいろいろ語るよりも、酒を飲んで、酔っ払って、くだをまいてるほうが、よほどマシだよ」。
 とまあ、こんな調子の歌が、13首、続く。
 作者は家柄の良い政府高官で、当時の最先端の教養も身につけたエリートだったらしい。そういう人が軽ーく詠んだ歌だからこそ、味わいがあると思う。

 これまで現代語訳を読んだ古典のなかで、いちばん好きなのは吉田兼好の『徒然草』だが、そのなかにも酒について触れた段がある。
 酔っ払いの醜態についていろいろ書いてあって、たとえば、
「塀に向かって、ここにはちょっと書けないようなものを撒き散らしちゃったり」
みたいなことが書いてある。(たぶん、嘔吐か立ちションだろう)。

 あと、確か、『魏志倭人伝』にも、
「倭人は酒を飲んで歌ったり踊ったりする」
みたいなくだりがあった気がする。(記憶違いだったらすみません)
 埴輪で、目や口をまるく開け、片手を上げ、片手を腰の辺りに当てているものがよくあるが、あれは歌ったり踊ったりしている様子を表しているとか。(いろんな説があるのだろうが、私が見たものにはそう解説されてた憶えがある)

 私も酒は好きだが、そおか、1000年以上前の人たちも、数百年前の人たちも、お酒、好きだったのね。と、うれしくなったり。
posted by 田北知見 at 11:14 | 東京 ☁ | Comment(1) | TrackBack(0) | 趣味に走ってスミマセン

2006年06月07日

言葉おたくの万葉集鑑賞(?)

 万葉集を読んだ。といってももちろん、全部ではないし、現代語訳と解説つきの文庫本を読んだだけだが。
 やはり、言葉がいい。

 柿本人麻呂の、「石見の海…」の長歌。
 「いさな」(クジラ)とか、「玉藻」とか、とても美しい言葉だ。確か中学生のころだったか、国語の時間にこの歌に触れて、石見(島根県の一部)の青い海や海岸線のイメージが、ぶわあっと浮かんできて感動した憶えがある。
 もうひとつ、人麻呂の、
「小竹(ささ)の葉は
  み山もさやに さやげども
  我は妹思ふ 別れ来ぬれば」
も、印象に残っている。
 笹とかの葉がさやぐ音は、神聖なものであり、言葉では「さや」とか「そよ」と表現され、神様の来臨を表すものだったとか。
 文字に、ではなく、音じたいに意味があるという考え方に驚いて感動した憶えがある。

 ……とか言ってるから、「言葉おたく」とか言われちゃうんだろうな。以前、私にそう言った人は、IT企業にお勤めの、私に言わせれば「サイバーおたく」なのだが。まあ、こだわるところは人それぞれってことで(笑)。
posted by 田北知見 at 11:34 | 東京 🌁 | Comment(0) | TrackBack(0) | 趣味に走ってスミマセン

2006年06月01日

クラシックコンサートとイタリアのバール風
エスプレッソ屋、夜の渋谷(←タイトル、長いッス)

 先週、クラシックのミニコンサートに行った。セロの独奏だった。(宮沢賢治の『セロ弾きのゴーシュ』が好きな私としては、チェロではなく、セロと呼びたいので、そう呼ばせてください)
 音はとても美しかったし、スピードや技術が必要な箇所なんかは、指づかいや弓のアクロバティックな動きに感動した。
 ただ、音楽としては、なんだかガシガシしている気がして「うーむ…」と思ってしまった(←うわー、シロートのくせに、偉そー)。
 同行者に訊いてみると、「いや、バッハってあんなものだよ」ということだった。その人は学校の先生で、自分でもピアノとか弾くし、クラシックに詳しく、コンサートにもしょっちゅう行っている。そういう人が言うのなら、そうなんだろうな。確かに、アンコールで聴いた、バッハのほかの曲はしっくり来たけど……うーむ……。

 終了後、コーヒーを1杯飲んだ。
 イタリアのバールみたいなつくりのエスプレッソ屋さんで、実際、カウンターで立ち飲みしている今風のかっこうをしたオシャレなお兄さんとかもいて、「おお…」と思った。なんかガイジン率も高かったし。
 夜の渋谷、久しぶりに歩いた。(といっても、会場から駅までの道だけだがw)
 なんだかキラキラしていて、どこか異国にいるようだった。ふだん、オフィス街と住宅街とデパートしか、つまりシブいところしか往復してないもので(笑)。
posted by 田北知見 at 10:22 | 東京 🌁 | Comment(0) | TrackBack(2) | 趣味に走ってスミマセン

2006年05月29日

決して、ぶれない。難しいだろうに。

 城山三郎の対談集を読んだ。私にとって、尊敬する作家の1人だ。
 とくに澤地久枝、吉村昭(彼も私にとって尊敬する作家の1人)との対談を読んで思ったのだが、城山は、ぶれない。その本の題にあるように、気骨がある。
 たとえば、こないだの戦争中に、日本のほとんどの人々が戦争礼賛を声高に叫んでいたのに、敗戦したとたん、同じ人たちが、手のひらを返したように「戦争はいかん」と言い出し、実際に戦争をした将兵たち(好きで戦場に行った人ばかりではないのだが)を人非人のように貶す。
 そうした風潮に対し、城山は「それはないだろう」というメッセージを発し続けているように見える。「そんなにコロリと態度を変えられるのって、なんなんだ?」「将兵の中には、人として立派な人もたくさんいた」と。
 それでいて、自分の軍隊経験を踏まえて、また、歴史作家としての目から、
「もちろん、戦争はすべきではない」
というメッセージを発し続けている。
 この対談集に、城山の言葉として、何度も出てくる。
「戦争は、勝ったほうも負けたほうも悲惨だ。やらないやつが本当の勝者だ」

 私は以前、ある作家の軌跡を知って驚いたことがある。
 その作家は戦前、プロレタリア文学をやっていたのだが、検挙されて転向。日中戦争を礼賛するような内容の小説が大ヒットし、戦時中は、従軍作家として持てはやされた。戦後すぐのころの作品は、一転して、戦争や軍隊がどんなに悲惨か、といった内容のものとなっている。
「こんなに、その時その時の、時代のニーズにマッチした作品を書けるなんてスゴイ」
と、あいた口がふさがらなかった。
 そりゃあ、メシを食わんといかんもんなあ。とは思ったが、それにしても、変わり身、スゴすぎ。
posted by 田北知見 at 16:45 | 東京 🌁 | Comment(0) | TrackBack(0) | 趣味に走ってスミマセン

2006年05月17日

エジプトで、「山田くん、座布団1枚持ってきて」と思った時。

 テレビ『笑点』の『大喜利』。三遊亭圓楽さんが司会をお引きになった。もう見れないと思うと残念だ。

 ところで、しつこいですが、エジプトネタ。
 エジプト旅行中、ちょっと面白いことを言われて、
「山田くん、座布団1枚持ってきて」
と思った小ネタを書いてみる。

〈その1〉ビンボー争い
 遺跡の売店で買い物をした。エジプトに行って初めての買い物だった。
 ガイドブックによると、エジプトでは、ものを買う時には値切らなければいけないらしい。早速、
「ディスカウントしてくれないか?」
と持ちかけてみた。が、売り手のおじいさんは、
「ノー」
と、にべもない。私は食い下がった。
「私はとてもビンボーなのだ」
 おじいさんはニコリともせず答えた。
「おれもだ」

〈その2〉ここはエジプト
 旅行中、デジカメのメモリー容量がいっぱいになってしまったので、レンズつきフィルム(使い捨てカメラ)を買うことにした。
 店のお兄さんに、これはいくらだ、と訊くと「50ドルだ」という。(観光地では米ドルが流通している)
 もうこのころになると、私のほうも値切り慣れてきている。驚いたフリをして、というか、実際、そのボりように驚いて、
「50ドル!? こんなもの、日本では10ドルだよ?」
と言った。
 けれどもお兄さんはすまして言った。
「ここはエジプトだ」
 ……確かに。

〈その3〉よけい汚れそう
 ツアーの日程には、4泊のナイル河クルーズも含まれていた。
 クルーズ船は、ホテルのような感じで、レストランやラウンジがあり、ランドリーサービスとかもあった。あまり高くなかったので、シワシワになったズボンのクリーニングを頼むことにした。
 専用袋に入れてフロントに持って行くと、フロントのお兄さんはニコニコ笑って言った。
「お金を払ってクリーニングなんか頼まなくても、自分でナイル河で洗濯しちゃどうです?」
posted by 田北知見 at 11:06 | 東京 🌁 | Comment(0) | TrackBack(1) | 趣味に走ってスミマセン

2006年04月21日

芸術と傲慢

 きのうの昼間、グーグル(Google)の題字がジョアン・ミロ風になっていてびっくりした。間違って、別のサイトに入っちゃったかなと思った。クリックすると、ミロ関連のサイトの一覧が出てきた。
 シュルレアリスム。私の好きな流派(←ちがうって)のひとつだ。
 ミロも好きだし、ルネ・マグリットの青空と夜陰とか、海の上に浮かんだ岩とか、サルバドール・ダリのぐにゃっとなった時計とか燃えるキリンとか。私のツボにグッとくる。
 もしできればいつか、ベルギーに旅行してマグリットの絵をゲップが出るほど見たい。
 もしできればいつか、スペインに旅行してダリ美術館に行き、塀の上に並んだでっかいタマゴを見たい。

 私がアートとして認識し、「おもしろい」とか「美しい」とか感じられるのは、シュルレアリスムとか、ジャクソン・ポロックとかの抽象画あたりまでだ。
 現代美術、とくにここ10〜20年のものは、さっぱりわからん。
 リアルな鮫(いや、もしかしたら本物のサメの標本かなんかだったかもしれない。ちょっと記憶が曖昧)を、でっかい寒天様のものに埋めて、
「これは芸術作品です」
と言われても、ど・・・どこが・・・?と思ってしまう。
 陶器とかのやきもので、完璧にリアルなトイレ掃除用具や、くしゃっとした新聞紙を再現してみせて、
「これがアートだ」
と言われても、えっ? そ・・・そうなの・・・?と思ってしまう。
 ちなみに前者はロンドンの有名な現代美術ギャラリーに展示され、後者はヴェネツィアかどっかの、有名ななんとかビエンナーレに出品して賞を取った作品だったと思う。雑誌で見ただけなので、私の記憶も定かではないが。

 以前、現代美術館のキュレーターさんに質問したことがある。
「こういう、なんかよくわからないものを見せられて、『芸術作品です』って言われても・・・よくわからないんですが・・・」
 そのとき教わった、「アート」の定義。
・その作者の、オリジナルであること。
・作者が、「これはアートだ」と定義(主張?)するもの。
 もうひとつ何かあったかもしれないが、おおむね、このあたりが「芸術」の定義なのだそうだ。
 私は恥じ入った。自分が理解できないという理由だけで、
「こんなの、アートじゃない」
と決めつけていたのは、なんて傲慢だったんだろうと。

 といっても、未だにそれらの作品の良さはわからないのだが。
posted by 田北知見 at 10:16 | 東京 ☔ | Comment(0) | TrackBack(0) | 趣味に走ってスミマセン

2006年04月17日

痛々しいフジタ

 週末、東京国立近代美術館に『藤田嗣治展』を見に行った。
 フジタの絵は(彼は日本人なのだが、私にとってはエコール・ド・パリの1人、つまり外国の画家なので、藤田嗣治ではなく、フジタと呼んでいる)、きれいすぎて、私の好みではないのだが(あの時代のなかでは、モネやゴッホのような、絵の具がぬちゃっと塗りつけられていて、筆致というか、画家の息づかいが感じられるようなタイプの絵が私は好きなので)、過日、日経新聞の『春秋』に、ちょっと気になるネタとして載っていたので、見に行った。
 ふたつの点が、印象に残った。

 ひとつは、画風の変遷である。
 初期の絵は、モディリアニの絵と似ている(ように、私には見えた)。
 次に、フジタの絵で最も有名な、乳白色と細い線で描かれた、女性の美しい絵。
 それから、中南米の滞在中に描いた、描かれている人たちも、使われている色も濃い絵。(リベラたちの影響を受けたということだが、確かに。私は20年ちかく前、リベラをはじめとしたメキシコの画家の展覧会を見に行った時、そのあまりの重苦しさと濃さに、途中で気分が悪くなったことがある。)
 続いて、日本に帰って来てからの、ジャポニズムをよりいっそう強調した絵。
 そして、戦争画。
 戦後、再び渡仏してからの、絵というよりイラストといったほうが近いような絵。

 こんなに画風が変わっていたとは知らなかった。フジタというと、女性の美しい絵というイメージしかなかった。
 ただ、以前、どこの美術館だったかは失念したが、フジタの戦争画を見たことはある。
「あのフジタがこんなものを・・・?」
と仰天したのを憶えている。
 大きな画面いっぱいに、濃い茶色で、何十人という、戦う兵士や死んだ兵士が、みっしりと描かれている。その前後に描かれた美しい繊細な絵とはあまりにも画風が違うし、フジタの美意識とはかなり異なるのではないか? もしかして当局(ってなんだw)に無理やり描かされたのでは? などと余計な心配をしたものだった。

 もうひとつ、印象に残ったのは、そのジャポニズム(日本風)である。
 たとえば、女性を描く、くにゅくにゅした独特の線は、鈴木春信の浮世絵を髣髴とさせる。
 キリスト教の宗教画では、画題はコテコテの西洋画題なのに、背景は日本風に金箔を貼ったような、たとえば尾形光琳の『紅白梅図屏風』みたいな背景になっている。
 日本に帰国していた時の自画像の背景には、ちゃぶ台や箸など、ことさらに日本的なものが描かれている。

 うまく言えないのだが、彼の人生の軌跡と相俟って、とても痛々しく見えてしまうのだ。
posted by 田北知見 at 10:45 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 趣味に走ってスミマセン

2006年04月13日

浮世絵版画のおもしろさ

 きのうのブログで「嘉永年間」と書く時に、
「確かペリーが来航した時だよね」
と思って確認していたら、嘉永年間にあった出来事のひとつに「葛飾北斎、没する」というのがあった。
 北斎というと、1700年代、つまり江戸中期の人というイメージがあったので、
「意外〜。幕末の人だったんだ」
と思って生没年をよく見ると、1760年生まれで、1849年に死去していた。長生きだったのね。(当時としては)

 冨嶽三十六景の『神奈川沖浪裏』とかが有名だが、北斎の版画は、今の目で見ても、構図的にハッとさせられるものが多い。肉筆画のほうでは、化け物絵の迫力や、日常の風景を切り取って、リアルで、それでいてひねりのある作品が多い、というイメージがある。

 私はあまり浮世絵にはくわしくないのだが、浮世絵の版画の、版や摺り師や時代によって違うところは、おもしろいなと思う。
 たとえば同じ冨嶽三十六景の『凱風快晴』。最初は赤っぽい茶色くらいだったのが、摺りの時代が下るにしたがって、真っ赤になってきたそうだ。専門家の解説によると、
「赤富士として有名になってしまったので、お客の期待に添って、摺る側が赤みをどんどん強くしていったのではないか」
ということらしい。
 安藤広重の東海道五拾三次の『日本橋朝之景』は、初版と後の時代の版を比べると、登場人物(というのか?)が増えているそうだ。解説によると、
「そのほうがにぎやかで、日本橋の雰囲気が出るから」
だそうだ。
 このあたりが浮世絵版画のおもしろさであり、
「このほうがウケるから」
みたいな理由で、平気で変えてしまう江戸モノのおおらかさを感じるようで楽しい。
posted by 田北知見 at 11:15 | 東京 🌁 | Comment(0) | TrackBack(0) | 趣味に走ってスミマセン

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。