2007年07月11日

最近お気に入りのキャラクター

 突然のキャラクターネタで恐縮だが、今いちばん気に入ってるキャラクターは、「ひこにゃん」だ。
 滋賀県彦根市にある彦根城の、築城400年祭のキャラクターとして誕生した。「井伊の赤備え」のカブトをかぶったネコだ。

 カブトの両脇についた立て物が、とがっていて戦さっぽくてちょっとイヤなのだが、本人(本猫)のトボけた顔つきと、ひこにゃんという脱力系な名前がかわいい。
 座ってるバージョンと、ピョンと飛んでるバージョンと、カタナを持ってるバージョンがある。私はちょこんと座ってるバージョンが一番かわいいと思う。
 また、着ぐるみをかぶった写真バージョンでは、「んしょ」みたいな感じで、前屈と後屈している写真がかわいい。

 以前から気に入ってるのは、JR東日本のICカード「スイカ」のペンギン
 とくに好きなのは、カードをなくして「しょぼん」となってるバージョンだ。カワユス。

 もうひとつ、ミッキーマウスとドナルドダックの変わったバージョン。
 他人様のブログで最近発見した、「口がパカッとなった」ミッキーさんと、「棒が一本あったとさ…」の歌で描く「コックさん」の落書きみたいなドナルド。これも、カワユス。

 ……すみません。きょうは脱力系のネタで・・・・・・。


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2007年07月02日

クジャク。



 なんでこんなニュースともいえないニュースが『AFP』サイトに入っているのか、よくわからないが(笑)、きれいなので、当ブログにも、入れてみた。(←テキトーですみません)

 というわけで、クジャクの思い出をひとつ入れよう。

 何年か前、マレーシアのボルネオ島のリゾートに行ったことがある。

(ちなみに、島の一部がマレーシア領で、「ボルネオ島」というが、同じ島の一部はインドネシア領で、同国では「カリマンタン島」と呼ぶ。また、島の一部はブルネイ王国の領土でもある。ややこしいな)

 海外のリゾートではよくあるが、そこも、敷地が広く、トリとかの動物がたくさんいる(放し飼いなのか、無断で進入してくるのかは不明)。

 オープンエアのレストランで朝ごはんを食べていると、ふつうにクジャクが入ってきた。
 コツ、コツ、と足音を立てながら、堂々の入場、というカンジで、テーブルの間を歩いている。いやホントに。私はビックリした。
 両サイドには、ちびクジャクがそれぞれ1羽ずつ、ついて歩いていた。クジャクのこどもらしいのだが、全身、茶色いのだ。
「ヘェー、ヒナは茶色いんだ〜」
と思った。ウズラみたいで、かわいかった。

(とくにオチはありません。すみません。)
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2007年06月28日

「ハトシェプスト女王のミイラ」報道について




 すごい。あの、超有名人(?)のハトシェプスト女王のミイラだなんて。
 私は、古代エジプト史では、同女王とアクテンアテン王のファンだ。
(考えてみたら、古代エジプトの王や女王って、究極のセレブ・・・?(笑))

 以前、エジプトに行った時、カイロ博物館でミイラを見た。(ハトシェプスト女王のではないけど)
 上の映像と同様に、髪の毛やツメもついていて、ミイラとはいえ、けっこう生々しかった。
「数千年も昔の人を、目の前にしているのだ」
と思うと(イヤ、ミイラなんだけど)不思議な感じがした。

 映像にある、ルクソールのハトシェプスト女王葬祭殿も行ったよ。
 行ったことのある方ならご存知だろうが、バスを降りて、かなり歩いた。映像を見てのとおり、途中、日陰はぜんぜんないし。
 山のほうには、壁画に描かれているような、黒い犬がウロウロしていたのを憶えている。
posted by 田北知見 at 16:55 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(1) | 趣味に走ってスミマセン

2007年06月26日

美味い日本酒とワイン。ごくり…。

 最近、飲んだ、お酒の話。

■伏見の『風林火山』

 日本酒で、『風林火山』という名前のお酒を飲んだ。
 てっきり、山梨県のお酒だと思って買った。武田信玄。今年のNHK大河ドラマの関連ネタ、みたいな感じで。
 しかしよく見ると、京都・伏見のお酒だった。がくし。
 伏見のお酒、好きだから、いいんだけど。

■濃厚なロゼ

 最近飲んだロゼワインでは、
「……?」
と思うものがあった。

 すごくトロリとしてて(←もののたとえで、ホントにトロミがついてたわけではないのだが…)、濃厚で、なんちゅうか、シェリー?みたいな濃さ。といっても、スペインじゃなくて、フランスのワインなのだ。
 でも貴腐ワインとかみたいに甘いわけじゃない。ワインじゃなくて、蒸留酒みたいな濃厚さ。

 1999年のだからだろうか。私は普段、あまり古いものを飲まない(だって高いし(笑))ので、よくわからなかった。(まあ、1999年といっても、とくに古いとは言えないとは思うが・・・)

 私の貧弱な経験では、ロゼって、ジュースみたいに甘いか、キリッと辛め、というイメージだったので。

■水のようなミュスカデ

 真逆だったのは、ミュスカデ。
 水みたいだった。
 あ、これはいい意味で。ヘンなクセとかがなくて、美味しくて飲みやすいという意味だ。

 時々、お店でグラスワインを頼むと、こういうのが出てくる。もちろん、その時々で、いろんな産地の、いろんなぶどう品種の、いろんなブランドのものが出てくるのだろうが。
 そのひとつが、ミュスカデなのだと、初めて知った。

 ものの本には、「ミュスカデ」って、ぶどうの種類の名前として書かれていた。いまネットで見たら、「フランス、ロワール地方の辛口 白ワイン」のことだと書かれている。

 私は薀蓄には興味がないので、まいっか、どっちでも(笑)。

■上善如水

 水のような日本酒といえば、『上善如水』。
 イヤホント、上善、水のごとし。

 むかし初めて飲んだ時には、
「これが日本酒か!?」
とビックリした。

 今も時々、飲む。相変わらず、美味い。
 先日も、飲んだ。白身魚のサシミと合わせると…口福、至福…。

■フランスのワイン見本市『ワイン・エキスポ』

 下の映像は、上記の文とは関係ないのだが、美味しそうなので、入れてみた(笑)。

 ほかの『ヴィネクスポ』(ワイン・エキスポ)関連のページも見て思ったのだが、欧米のモノやディスプレイって、やっぱりなんかセンスが良い。
 以前、仕事で時々、ヨーロッパをはじめとした海外の、インテリアや生活雑貨関連の展示会(開催地は日本だけど)に行く機会があって、いつも楽しみだったなあ。


posted by 田北知見 at 16:52 | 東京 🌁 | Comment(1) | TrackBack(3) | 趣味に走ってスミマセン

2007年06月13日

旧き良き中国と、厚かましい 新・中国と。




 映像に出てくる、北京の旧い町並み。私は行ったことがないのだが、どこか懐かしい。
 よく言われることだが、アジアへ行くと、
「初めてなのに、懐かしい」
気がすることが多い。
 台湾の台北市に旅行した時も、旧い住宅街を歩いて、懐かしいような気分になった。
 インドネシアのバリ島では、リッチなリゾートも良かったけど、何ということのない住宅街を歩いた時に、どこか懐かしさを感じた。

■旧き良き中国

 私が中国へ旅行したのは、もう20年近く前に、一度だけだ。
 大学の卒業旅行で、上海、成都、桂林、西安を周った。ほかに、飛行機の乗り継ぎで、重慶と北京に、ほんの数時間。

 1991年だった。たぶん、外国人が旅行するには、一番いい時代だったと思う。
 というのは、それより以前だと、「共産主義」色が強くて、非効率・不愉快なことが多かったようだ。(読んだ話だが)
 最近だと、今度は「商業主義」色が強くて、態度はデカイ、ぼったくる、で、不愉快なことが多いようだ。(聞いた話だが)

 私が行った当時は、観光の途中で、現地人ガイドさんが、お店へ連れて行く時でも、さりげなく、
「私の知っているお店へ行って、休憩して、お茶を飲みましょう」
と誘う。
 なんとも上品ではないか。
 そして、お店の人も、ほかの途上国の土産物店と違って、うるさく売り込んでくることは、ほとんどなかった。
 どの都市でも、老若男女どのガイドさんも、そうだった。

 西安の現地人ガイドさんは、30〜40代くらいの男性だった。
 私は友人たちと5人グループで旅行したのだが、路上でお菓子とかを買い食いする時も、量が多いので、1つとか2つを買って、5人で分けて食べていた。
 それで、よほどビンボーだと思われたらしい。(笑)
 遊園地(といっても、かなり地味な。決して、似非ディズニーランドではなかった(笑))へ行った時、ジェットコースターを「おごって」くださった。
 当時のことだから、日中の所得格差はかなり大きかったはずだ。その料金は、日本円にしたら大したことはなかったが、彼にとっては、もしかしたら、ちょっとした額だったかもしれない。
 いや、額は問題ではなく、心遣いがうれしかった。

 西安では、城壁の上に登ったりした。
 乾燥した空気に、土ぼこりが混じり、どこか香辛料っぽい匂いがした。シルクロードの匂いだ、と思った。

 成都では、飛行機から見た、郊外の菜の花畑が美しかった。

 上海では、戦前の、石造りの旧い建物の街並みが、美しかった。その、古びた感じと、電気事情が悪いために、薄暗い街灯の感じが。

■失ったものと得たもの

 最近の中国は、あの当時のいい雰囲気が、すっかり失われているらしい。

 過日、『クーリエ・ジャポン』誌で、今の重慶の写真を見て仰天した。
 見渡す限り、灰色の高層ビルがごちゃごちゃと建っている。
 むかし私が行った時の記憶では、日本の神戸や長崎のような、美しい夜景しかないのだが。

 そしてたぶん、人々の、歴史ある大国の人間にふさわしい「礼節を知る」大人(たいじん)の態度も、すっかり失われているのだろう。
(そうでない人も大勢いると思うが)

 第三国、たとえばフランスやエジプトで、私が行き会った中国人観光客たちは、うるさいし、マナーもクソもないしで、かなり迷惑な人たちだった。
(そうでない人たちもいるのだろうが)

 かつて世界中で、マナー知らずと揶揄され、恥知らずと罵られた、日本の団体旅行客よりも、さらに数段、パワーアップした人々。
 白人や黒人やアラブ人といった、ほかの人種の人たちから見れば、日本人も中国人も、同じ北東アジア人なのだが、
「彼らと一緒にされたくない…」
と思ってしまう。

 一方で、あのデカい態度と厚かましさは、日本人や韓国人や台湾人にはないものだ。
 なので、中国人の皆様には、北東アジアを代表して、自分たちが一番だと思っている厚かましい白人たちと、存分に遣り合っていただきたい。と思ったりもする。(笑)
posted by 田北知見 at 15:47 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 趣味に走ってスミマセン

2007年05月22日

コートダジュールって、やっぱり美しいですね・・・



 カンヌの映像を見て、
「うわあ…やっぱ美しいなあ…」
と、思ってしまった。

 南フランスの、コートダジュール。
 私は何年か前に、一度、旅行で何日か行ったことがあるだけだが、確かに、すごく美しくて、
「お金持ちにも、私のような観光客にも、人気なのが、分かるなあ」
と実感した。

 私が行ったのは9月で、雨がちな時期だったのだが、それでも、海はソーダ水のような透明感のあるブルーだった。
 この時期でこうなのだから、バカンスシーズンで、お天気だったりしたら、さぞかしきれいだろうなあ、と思ったものだ。

 また、上記の映像をはじめ、雑誌とかでよく見る光景――、たとえば、クルーザーやヨットが係留されていて、とか、おフランス的なオシャレなお店、レンガづくりのステキな建物などが、どこでもふつうに見られる。
 そおか、撮影用に厳選した光景ではなくて、現地ではこれがふつうなのか、と感動したものだ。

 私は英語もフランス語も全然なので、ツアーだったのだが、ニースのメリディアンに泊まって、市内のほか、モナコとか、近隣の町も、少し観光した。
 美術館が良かった。ツアーで行けたのは、シャガール美術館とマティス美術館。
 どちらも、建物や立地している場所そのものから、すでに美しかった。これも感動した。

 もうひとつ、良かったのは、街なかで見た教会。
 とくに観光地ではなくて、自由時間に街歩きをしていて見かけただけなのだが、そういう、ふつうの教会だけでも、充分美しくて雰囲気が良かった。

■ムール貝と白ワインの思い出(?)

 自由時間の夕食は、「ムール貝」にチャレンジした。

 ガイドブックの「食事編」ページで、「ムール貝」のフランス語のつづりを見て、メニューと何度も見比べて確認し(笑)、「こ…これだよね…?」と、ようやく確信を得てから、
「これをください」
と指さしてオーダーした。だって発音できないんだもん(笑)。

 また、絶対に白ワインを飲みたかったので(笑)、
「ヴァン(ワイン)、ブラン(白)、シルヴプレ(お願いします)」
と超下手クソな、おフランス語を5回くらい繰り返して、がんばってオーダーした。

 そのお店のマダムは、おフランスっぽい、気位の高そうなコワイ感じの人だったのだが、こちらの必死な気持ちが通じたらしく(笑)、なんとかオーダーは通った。
 食いしん坊の呑み助の、飲食に対する執念が、通じたらしい(笑)。

posted by 田北知見 at 18:06 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 趣味に走ってスミマセン

2007年05月15日

全国 城めぐり

 過日、日経の文化面に「古城の旅 往時への慕情」として、全国950ヵ所の城・城址を踏襲した方のお話が載っていた。
 それに触発されて、私も「お城ネタ」。
 今まで行ったなかから、いくつか、印象に残ったお城の話を。

■弘前城(青森県弘前市)

 行ったのは冬で、ちょうど『雪燈籠まつり』を見れた。雪でつくった灯籠に、灯りがともっていて、それが何十本、何百本と立っているのだ。幻想的で、美しかった。

■鶴ヶ城(福島県会津若松市)

 ちょうど桜のシーズンに行った。桜吹雪が美しかった。
 まるで、幕末、徳川幕府に殉じて、散っていった武士たちのように……。
 なんていうと、気恥ずかしいが(笑)。しかも、ここはぜひ、「武士」を「もののふ」と読んでいただき、二重に気恥ずかしさを感じていただきたい(笑)。

 飯盛山にも行ってみた。戊辰戦争の際に、白虎隊が自刃したという場所から、鶴ヶ城を遠望した。かなり遠い。
 私は、
「あんなに遠くの城がハッキリ見えるなんて、昔の人は、目が良かったんだなあ」
などと、マヌケな感想を持ってしまった。
 しかし、今と違って、高い大きな建物はそう多くなかっただろうし、煙が盛大に上がっていれば、確かに、落城と誤認したかも。
「よく見えなければ、あたら若い命を散らすこともなかったのに」
と、詮無いことを思ったり。


■松本城(長野県松本市)


 黒くてシックな見た目がステキだと思った。
 確か、江戸時代前期の天守がそのまま残っているのは、全国でも数例しかないと聞いた憶えがある。(他は、再現や再建されたものが多い)
 松本城が残ったのは、戦国末期〜江戸時代〜幕末をつうじて、「非戦」を貫いたからだと聞いて、さらに感動した憶えがある。

■小田原城(神奈川県小田原市)

 天守閣の、一方の窓からは、遠くの山腹に、豊臣秀吉が建てた『一夜城』が見える。別の窓からは、海が見える。1590(天正18)年当時、海上には、秀吉の小田原攻めに協力する、毛利氏をはじめとした各水軍がズラリと並んでいただろう。
 小田原北条氏 最後の当主 氏直は、ここからその光景を眺め、
「ぬぬう…サルめ…」
と、歯軋りしたのではないか、と想像した。

■掛川城(静岡県掛川市)

 二の丸御殿の庭を歩いていたら、向こうから、ちょんまげ、羽織り・袴に、刀を差した、立派な武士が歩いて来て、仰天した。
 映画のロケ撮影が行なわれていたのだった。(笑)

■岐阜城(岐阜県岐阜市)

 原型が、中世の城(砦)のせいか、近世的な、「堀があって、周囲に武家町や商人・職人町が広がっていて」というのと違う。山頂に、ポツーンと建っている感じ。
 しかも、私が行ったのは、夕方。薄暗くなった空をしょって、あたりを睥睨するように建っている。空には、大量のカラスが、ギャアギャアと鳴きながら飛んでいる。なんかブキミだった。
 織田信長が、南蛮かぶれのマントと、フリルの襟をつけた、うつけ者のかっこうをして、
「むははははははは…」
と笑っているような気がした。

■福山城(広島県福山市)

 JR・新幹線 福山駅の、あまりに近くにあるので、ビックリした。ホントに、線路と石垣の間は、数メートルしかないって感じなのだ。

 福山市に行ったのは、出張だった。
 以前、ほんの短期間、在籍した会社だったのだが、その会社に入社して3日目に、出張に行ったのだった。うーむ…、そういうのって、ふつうかな…?(笑)
 いま気づいたのだが、上記の、松本や掛川も、別の会社に在籍していた時、出張で行ったのだった。アポが金曜日とか月曜日だったので、自費で泊まって、土日に観光したのだ。

■知覧城址(鹿児島県知覧町)

 中世の城址ということで、ほとんど何も残っていない。一見、ただの小さな山にしか見えない。草も木もボウボウで、私が行った時は、雨だったせいもあるのか、人も、全くいなかった。すごく良かった。

■首里城(沖縄県那覇市)

 門や屋根の感じが、日本本土の城と、少し違う感じがした。色とか、デザインとか、中国っぽい気がする。それと、「御庭」が。
 御庭は、琉球ことばで「うなー」と読むらしい。正殿の正面にあり、門や塀に囲まれた広場だ。それって、北京の紫禁城とかにあるよね、確か(私は行ったことがないので、実物を見たわけではないが)。
 その後、香港旅行の際に、レパルス・ベイに行った。そこで見た、寺院の感じとかも、似てると思った。
 さらに、韓国 ソウルに行った時、景福宮で、やはり御庭があり、似てる、と思った。
 もちろん、中国がオリジナルなのだとは思うが…。

■串崎城址(山口県下関市)

 最後はめちゃくちゃ我田引水で(笑)、自分の出身地 山口県下関市にある城址を挙げる。

 私は、全都道府県、最低1ヵ所ずつは、旅行・観光したことがある。旅行好きの人と話をすると、よく、
「どこが一番良かった?」とか、
「どこが一番オススメ?」
という話になる。私は、
「全都道府県、あちこち行った上で、一番、良いと思うのは」
山口県の、下関市と萩市だと、いつも言うことにしている。なんちゅう身びいき(笑)。

 串崎(櫛崎とも)城址は、伝承によると、藤原純友 配下の豪族が城を構えていたと言われる場所。つづく中世には、大内氏の重臣が城を築いたそうだ。
 江戸時代は、毛利藩の支藩の館があった。現在は石垣が一部残り、一部再現されているのみ。
 城跡よりも、むしろ、あのあたりの海辺や、古い町並みを維持している、城下町の雰囲気がとても良い。

 萩市の指月(しづき)城址も、そういうところがある。
 城跡自体よりも、周囲の、江戸時代の雰囲気を残した(これも地元の人たちの努力で維持保存している)町並みが美しいのだ。
posted by 田北知見 at 15:12 | 東京 ☔ | Comment(1) | TrackBack(1) | 趣味に走ってスミマセン

2007年04月17日

「海外の日本」詣で

 きょう17日付けの日経朝刊の文化面に「南洋の小島、日系人の歴史」という記事が出ていた。

 ニューカレドニアの日系3世で、在ニューカレドニア日本国名誉領事を務める、マリ・ジョゼ・ミッシェルさんの話だ。
 同島での、戦前〜戦中・戦後の日本人移民や、その2世、3世の人々が遭遇した苦難の歴史などが書かれている。

 ニューカレドニアにも、日本からの移民がいて、現在も日系人が存在することを、私は初めて知った。

■海外旅行に行くと、つい、「現地の日本」詣でをしてしまう

 アメリカに旅行した時、明治〜戦中の、日本人移民や日系人の苦難の話は聞いたことがある。

 ロサンゼルスでは、リトル・トーキョーにある、全米日系人博物館に行った。
 10年くらい前だった。その時、私は初めて、戦時中に、アメリカ在住の日本人移民や日系2世たちが、強制収容所に収容され、酷い生活を強いられていたのだと知った。
(同じ「敵性国民」のドイツ系やイタリア系の移民は、全くそういう扱いを受けなかったのだが)
 そして、多くの日系2世の男子が、志願兵としてアメリカ軍に入隊したことも。
(その後、デイヴィッド・グターソンの『殺人容疑』(高儀 進 訳)を読んだ。これは小説だけれども、当時の日系人の苦難がバーチャル体験できる)

 ハワイでは、明治時代の日本人移民が、酷い差別を受け、奴隷のような扱いを受けたという話を聞いた。パールハーバーで、移民2世の人に話を聞いたこともある。

 また、日系人とはちょっと違う話になってしまうが、サイパンでは、戦前〜戦中の、日本人が数多く住んでいた当時、建立された神社や、現地で当時、成功した実業家を記念した公園を見に行った。
 どちらも荒れ果てて、人もいなかった。
「戦前・戦中に日本人が移住していた土地や、植民地で、日本人は慕われていたし、インフラ整備など、良いこともしたのだ」
と言い張っている人たちに、ぜひこの光景を見てほしいと思った。

posted by 田北知見 at 17:34 | 東京 ☁ | Comment(1) | TrackBack(0) | 趣味に走ってスミマセン

2007年04月06日

ロッキー、健在なり。
――『ロッキー・ザ・ファイナル』の試写を観て

 中高生のころ、ロッキーが好きだった。映画『ロッキー』シリーズの主人公、ロッキー・バルボアのことだ。
 私が見たのは、シリーズの3作目か4作目までだが。

 ロッキーは、あんまり頭が良くないみたいで、でも、一生懸命なところが好きだった。
 ボクシングに、
「俺には、これしかないんだ」
と、必死で打ち込み、
「そうしないと、負け犬になってしまう」
と、一生懸命やっているところが、好きだった。
 さえない女の子、エイドリアンを相手に、
「きみはすごく美しい。おれはきみに首ったけだ」
みたいなことを大まじめに言って、ぜんぜん似合わないバラの花束をプレゼントするようなところも、好きだった。
 バカと同義語の「マッチョ」ではなく、強くてやさしい、本当の意味で「男らしい」人なんだなあ、と思って、好きだった。

 きのう、映画『ロッキー・ザ・ファイナル』の試写会に行った。
 The Japan Timesの招待試写会で、東京・六本木にある、20世紀フォックスの試写室で、観せていただいた。

■スタローンぶし、全開(笑)

 約20年ぶりに「再会」したロッキーは、相変わらずだった。
 
 不器用で、強くて、やっぱりちょっとバカにされてて。そしてやっぱり、一生懸命で。
 相変わらず、あんまり物知りじゃないらしく、
「ジャマイカ人? ヨーロッパ系か」
とか言ってるし。
 ぎこちない親切が、とても暖かい。そして、少し、さみしそうに見えた。

 映画はやはり、シルベスター・スタローンぶし、全開だった(笑)。

 たとえばクリント・イーストウッド監督作品では、なにげないエピソードや情景によって、悲しみとか何とかを表現したり、さりげないセリフに、重い意味が込められていたりする。
 そうした、洗練された表現は、スタローン作品にはない。エピソードも、演技・演出も、セリフも、直球でドカンと来る。
(もちろん、どっちが良いとかいう話ではない。イーストウッド作品も、スタローン作品も、両方いい。両方とも、極上の娯楽であり、すばらしい芸術だ)

 たとえば、バート・ヤング演じる、長年の友人、ポーリーに、心情を吐露するシーンで、顔をくしゃっとして、涙するロッキー。演技として、あるいは演出手法として見れば、素朴だ。しかし素朴なだけに、観る者の胸を、ドカンと直撃する。

 たとえば、ボクサーとしてのライセンスを取得しようとするシーンでの、ロッキーのセリフ。
「年を重ねるごとに、たくさんのものを失っているんだ。挑戦したい、という希望まで奪わないでくれ」
とか。

 笑わば、笑え。私は、全編、あのシーンに、このセリフに、泣きっぱなしだった。スーツのラペルが、涙でカピカピになってしまった。まぬけな話だが(笑)。

■ロッキー・ステップ!

 そして、おなじみの、あのシーンや、あの音楽。

 元気の出る『ロッキーのテーマ』をバックに、グレーのスウェットを着たロッキーが、雪の中を走る。
 有名な、フィラデルフィア美術館前の階段、通称『ロッキー・ステップ』を駆け上がるロッキー。
 そのシーンだけで、私たち往年のファンは、
「あああああ……」
と、なってしまう。

 いや、往年のファンじゃなくても。観る人に、勇気と希望を与えてくれる作品だ。

■雰囲気。(笑)

 イメージ写真、って感じで、きょうもAFP BBの写真と記事、くっつけてみます。(笑)


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2007年04月03日

ポン酒とシバリョー。至福の時。

 きのうのお酒は、日本酒だった。
 デパ地下で、広島・西条のお酒を試飲した。口に含むと、お米の味が、ぶわっとして、とろりと濃かったので、気に入って、それを買った。
 ツマミは、エビのサシミ、アジのたたき、壬生菜のおひたし、湯葉とみょうがの酢の物、里芋(エビイモかも)を茶巾風にしたもの、千枚漬け。

 好きな司馬遼太郎の小説を読みながら、飲った。
 久しぶりに再読した、『故郷 忘じがたく候』。
 好きな本を読みながら、好きなものを飲み食いする。至福の時だ。(←そんなんで…良いのか…?という気はするが…w)

■日本人だったら

 『故郷…』は、400年以上の昔、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際、島津軍から拉致されて、薩摩に住むことになった、朝鮮人の作陶工人たち(あるいは、貴族たち)と、その子孫の物語だ。
 もちろん、涙なしには読めないのだが、私はいつも、この手の話を読んだり聞いたりすると、「すごい」と思う。

 何が?
 たとえば、その物語によると、彼らはその後、400年以上、代々、日本に住みながら、一度も朝鮮に帰らずに、それでもずっと、朝鮮文化を保ち続けている。

 その手の話は、たとえば、ユダヤ人のイスラエル建国の経緯についても、言える。2000年ちかくの間、世界中にちらばって住んでいたのに、2000年後に、再び「シオンに帰って」ひとつの国を建国してしまう。(その是非はともかくとして)
 また、たとえば、世界中にチャイナタウンがある。

 日本人だったら、たぶんそうはいかない。
 もし、外国に住まなければならなくなったら、それぞれの現地に、人としても、文化的にも、あっという間に溶け込んでしまって、すぐにまぎれてしまうだろう。
 たとえば、山田長政らが移住していたという、タイのアユタヤ。当時は日本人街があったらしいが、今はほとんどその面影はないそうだ。やはり、400年ほど前のことだ。
 ハワイに、もと日本人街がある。私は行ったことがないが、観光本の写真とかで見る限りは、「なんとなく、日本風かな…?」と思われる程度の町並みだ。移民が始まったのは、百数十年前だと思う。

 もちろん、日本人の柔軟性は、良い面も多々あるのだが。
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2007年03月15日

「万博」について。

 弊社 犬丸正寛社長のブログ3月14日付に、「万博」ネタが出ていた。
 大阪万博は1970年。当時、すでに現役の記者をされていたというのだから、驚きだ。
 ちなみに私はその年、2歳になった。やっと字を読んでいたころだ。
(時々、私は、書き手としての力量について、「いつか、この人に追いつけるのだろうか?」と思うことがある。キャリアの年数や、書き手としてのタイプが違うのだから、無理に追いつこうとしなくても・・・という気もするが(笑))

 私の記憶にある最初の万博は、1985年の、つくば万博だ。私は行っていないが、当時のカレシ(笑)が行って、お土産をもらった憶えがある。高校生の時だ。

 大学生の時に、福岡市でアジア太平洋博覧会があった。1989年だった。当時、私は同市内に住んでいたので、何度か行った。
 とくに記憶に残っているのは、ふたつ。

■私にとっての万博は「アジア太平洋博覧会」

 博覧会のコンセプトイメージフィルムで、
「日本人は、どこから来たのか?――柳田國男」
とあって、シビれた。

 それまで、あんまりそんなこと考えたことなかった。日本人は日本人であって、何千年も前からこの列島に住んでいた、くらいしか考えたことがなかった。
 その後、いろいろな本を読み、いろんな所でいろんなものを見て、この列島には、大陸や半島から、北方から南方から、何千年も何万年もかけて、いろいろな人たちが来て、その結果、こんにちの日本人が在るのだと知った。

 同博覧会は、「海のシルクロード」がテーマだった。各国から、さまざまな出展があった。

 それまで、私は海外といえば中国かアメリカ、せいぜいヨーロッパのことしか興味がなかったのだが、その博覧会で初めて、中東や南アジアのものに触れ、中ってしまったのだった。
 シリアの女神の石像とか、ガンダーラの、濃い顔の仏像とか…。
 インドパビリオンでは、シタールとかの「ミョヨヨ〜ン…」みたいな妖しい音楽と、充満したお香の香りと、手足がいっぱいある不気味な神様の像に、中ってしまった。

 もうひとつ、印象に残っているのは、富士通パビリオンだったと思う。DNAのイメージフィルムを上映していた。
 当時はDNAとか遺伝子とか、まだ目新しい概念だったと記憶している。(私が無知だっただけかもしれないが)
 それを、映像と説明で、「こんなものなのですよ」と教えてくれた。

 映像は、これまた当時まだそんなに普及していなかった3D映像。手でつかめるんじゃないかと錯覚するほどのリアルさに度肝を抜かれた。

 過日、東京・上野の国立科学博物館で行なわれた『大英博物館 ミイラと古代エジプト展』でも、やはり3D映像を見たのだが、むかし見た時ほど「おお…!」とは思わなかった。(もちろん、同展自体は素晴らしいものだったが。)
(かはくでのミイラ展はだいぶ前に終了しました。3月17日から、神戸市立博物館で開催。おもしろかったので、もし行けるなら、お勧めです。)

 今は、「インターネット時代に、万博でもないだろう」という人も多い。実際、博覧会や展示会って、人は多いし並ぶしで、とても疲れる。
 けれどもやはり、「その場に行って」「ナマで何かを見る」「その時代の空気を、肌で感じる」のは、得がたい経験だし、のちのち、良い思い出になると思う。
posted by 田北知見 at 15:49 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 趣味に走ってスミマセン

2007年01月30日

『硫黄島からの手紙』を観て

 クリント・イーストウッド監督映画『ミリオンダラー・ベイビー』を観たのは、海外旅行の、飛行機の中だった。
 機内の明かりは落としてあったが、周囲の人たちは、ふつうに眠ったり、友人どうしで、おしゃべりしていた。
 そういうなかで、映画を観て泣くのは、かなりみっともないことだ。
 けれども、私はそんなこと、構いやしなかった。目の前の小さな画面を(←エコノミークラスだったのでw)食い入るように観ながら、ボロボロと泣いてしまったのだった。

 遅ればせながら、『硫黄島からの手紙』を観た。『ミリオンダラー…』と同じだった。
 テーマ自体は、ズシリと重い。
 それを、控えめな演出、リアルなシーン、淡々と積み重ねるエピソードによって、登場人物それぞれの、人となりや、生きざまを、そして、悲劇を、えがき出す。
 抑えた色調の画面。シーンによっては、ほとんどモノクロームの世界だ。
 光と影のコントラストは、画面構成としては、むしろクラシカルな手法だろう。それが、衒いなく使われている。

 こんどは映画館の大画面で観たのだが、同じだった。上映開始後、5〜10分くらいで、もう涙がこみ上げてきて、最後まで、あのシーンに、このセリフに、泣きっぱなしだった。
 下手に拭うと顔がボロボロになるとわかっているので、涙がタレるにまかせていたら、終了後、セーターの胸のあたりがビショビショになっていた。相変わらずのマヌケぶりである(笑)。

■ナチュラルな「ハリウッド映画の日本人」

 従来、ハリウッド映画に出てくる日本軍の将兵は、カミカゼに代表されるような、マッドでクレイジーな人物か、何を考えているのかわからない、不気味なサルのように、えがかれることが多かった。

 従来、ハリウッド映画に出てくる日本や日本人は、ホンモノの日本人から見ると、「それ…アジアの…どこの国ですか…?」と質問したくなるような、えがかれ方をすることが多かった。

 『硫黄島からの手紙』に出てくる日本人は、ホンモノの日本人が見ても、奇異に感じることはほとんどなかった。
 その点だけでも、充分スゴイと思う。

(時々、「あ、これはアメリカ的な発想だな。日本人だと、まずこうはならない」とか、「このセリフはたぶん、英語の慣用句を自然な日本語に訳したので、こうなったんだな」と思うことはあったけど。あと、登場人物のなかで、「このキャラクターは、アメリカ人の好みを意識して、つくったのかな」と思われる人物もいた)

■アメリカの良心

 そして、えがかれ方もフェアだった。
 日本兵とアメリカ兵、どちらも同じように、いい人と、そうでもない人がいる。というか、ほとんどが、ふつうの人たちだ。

 米兵の持っていた、母親からの手紙を読んで、日本兵が、
「おれのオフクロからの手紙と同じような内容だった」
というシーンがある。
 アメリカ人の観客も、映画にえがかれた日本兵を見て、
「われわれと、同じなんだな」
と思ったのではないだろうか。

 米兵を、酷いやり方で殺す日本兵が出てくる。
 日本兵の捕虜を「見張りが面倒だから」という理由で撃ち殺す米兵も出てくる。
(実際に、あった話、ありえた話なのだろうか?(ジュネーヴ条約!) けど、現代でも、イラクやグァンタナモの刑務所・収容所で実際にあった話を聞く(読む)につけ、ありえたかも、とは思う)

 アメリカ人のなかには、ブッシュ 一部の人のように、自分の国が世界1正しくて、世界の標準で、違う意見はみんな間違い。他の国は全員、俺の言うことをきけ、みたいな人がいる。
 けれども、一方で、
「いや…必ずしも、そうとは言えないんじゃないか…?」
と言う人がいる。
 こんな映画をつくる映画人が数多くいて、それを高く評価する人が数多くいる。
 アメリカという国に、素晴らしい点は、数多くあるが、そのひとつが、こうした、ふところの広さだと思う。

■戦闘シーンについて

 数年前、韓国映画『ブラザーフッド』を観た。
 戦闘シーンに度肝を抜かれた。

 戦争とは、荒々しく、ただただ暴力的で、理屈も理想もへったくれもない、雄々しくも美しくもなんともない、問答無用で殺すか殺されるか、ただただ、生きるか死ぬかの場所なのだ。醜くて、汚くて、圧倒的な暴力以外の何物でもなく、その渦中に巻き込まれたら、人はもう、どうしようもないのだ。

 という事実を、リアルに突きつけられた。
「これに比べたら、ハリウッド製の戦争映画は、ショーアップされた映像美や、最新のCG技術を競う『お芸術』だ」
と思った。
「これに比べたら、日本の戦争映画は、ホームドラマだ」
と思った。

 『硫黄島からの手紙』の戦闘シーンも、『ブラザーフッド』よりは洗練されていたものの、同じだった。
 ただ、撃ち合う。ただ、殺される。
 そのこと自体には、なんの意味もない。
 美しくもない。カッコよくもない。ただただ、悲惨なだけだ。勝ったほうも、負けたほうも。
 本当の戦争は、そんなものなのだ。

 私は、2時間、撃ち合いや殴り合いや殺し合いを見続け、延々と空爆される側の目線に立ってバーチャル体験しただけで、
「もう、たくさんだ」
と思った。
「本当の戦争だったら、これがずっと続くのだ。しかも、自分自身の命をマトにして。本当に死ぬかもしれない、いつケガをするかもしれない。そんな状況が、ノンストップで、いやおうなしに、逃げ場もなしに、何時間も、何日も、何年も、続くのだ」
と思うと、ゾッとした。私なら、気が狂ってしまう。
posted by 田北知見 at 14:43 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 趣味に走ってスミマセン

2007年01月10日

驚きのヨルダン、シリア旅行

 年末年始の休みに加え、数日、お休みをいただいて、ヨルダンとシリアの旅行に行って来た。

 地図で見ると、この2国、東隣りはイラク、西隣りはイスラエル、レバノン。と、かなり物騒な位置にある。
 ツアーだったので、
「添乗員さんと現地人ガイドさんについて行くだけだから、大丈夫」
とは思っていたものの、実はちょっと怖かった。

 結論から言えば、テロにも空爆にもゲリラにも遭うことなく(笑)、無事に帰って来れた。良かった、ヨカッタ。

 入国してしまえば、そして危ない地域へ行かなければ、アメリカとかよりも、よほど安全かもしれない。犯罪は、他の途上国や先進国よりも、むしろ少ないと聞いた。
(以前、途上国の奥地にばかり旅行する人と話をした時、「そんな所にばかり行って、怖くないですか? アメリカとかの先進国へは旅行しないんですか?」と訊いたら、「アメリカみたいな殺人や強盗の多い国には、俺は恐ろしくて行けない」と言われた。うーむ…確かに…w。)

■なぜシリアなのか

 シリアには、ずっと行ってみたかった。

 これは以前にも『キッチンカブー』の『ウオッチング』コーナーで書かせていただいた話だが、十数年前、大学生の時に、「シルクロード展」を見に行った時のことだ。
 アテナ神の石像を見た。アテナはギリシャの女神で、ローマのミネルヴァ神に相当する。
 ギリシャ・ローマ風の石像なのだが、顔つきに、ガンダーラの石仏のように、少しアジア的な濃さがある。また、ギリシャ・ローマの彫刻によくある白い大理石ではなく、黒い玄武岩に彫刻されていた。私は、
「なんだこれは?」
と、衝撃を受けた。
 ヨーロッパとアジアが混じり合っている。
 初めて出会った、「中東的なもの」だった。

 以降、国内の博物館や展覧会などで、パルミラの石像などを見る機会もあり、いつか是非、行ってみたいと思っていた。

■アジア的なヨーロッパ

 実際にヨルダンとシリアを旅行した印象は、
「中東的な要素の入った、ヨーロッパだ」
と思った。街の感じも、人の感じも。

 もちろん、街以外のところは、荒涼とした砂漠・土漠・岩山だし、肌の色と顔のつくりが濃い、ベドウィン(遊牧民)系の人もたくさんいる。

 が、やはり全体として、ヨーロッパ的だ。
 建物はベージュの石造りで、街の雰囲気はとても洗練されている。が、ヨーロッパよりは少しシンプルで、装飾などに、やはり中東的な雰囲気はある。
 人々は、全般に、肌の色が白くて、顔の彫りが深くて、スラッとしていて、アジア人というよりはヨーロッパ人に近いように見えた。

 モスク(礼拝所)と、ヒジャブを被った女性の姿がなければ、東ヨーロッパや南ヨーロッパと見まがうかもしれない。
 ただ、同じ中東でも、イスラム色の強いイランやサウジアラビアだと、街の感じなんかも、違った印象を受けるだろう。また、同じイスラム国でも、北アフリカのチュニジアやリビアだと、人の感じなんかも、違った印象を受けるかもしれない。

■人種と宗教のモザイク

 メソポタミアを中心とした、この地域は、人類の文明発祥の地だ。古代4大文明のひとつ、チグリス・ユーフラテス文明。
 紀元前数千年からこんにちまで、数千年にわたり、東西南北から、さまざまな民族が流入し、さまざまな国が興亡を繰り返してきた。

 だから、さまざまな遺跡や遺構が数え切れないほどあり、かつ重層的に存在している。

 たとえば、ローマ時代の神殿が、のちにキリスト教の聖堂として使われ、その後、イスラム教のモスクに作り変えられたりしている。

 たとえば、紀元前の土着の神を祀る神殿が、その後、ローマ神殿として使われたりしている。

 そして、たとえば、シリアの首都ダマスカスでは、イスラム教徒とキリスト教徒とユダヤ教徒が、それぞれの宗教を尊重し合いながら、1000年以上にわたって、共存している。
「共存、できるんじゃないの」
と思ったりした。

■さまざまなものが見れて、驚きの連続だった

 なので、見どころが数多くある。

 紀元前のメソポタミア文明の遺跡や遺物。
 パルミラに代表される、シルクロードのオアシス都市の遺跡。
 ローマ式の劇場。

 初期キリスト教の教会。険しい岩山の上に建っていたりして、
「ああ……ローマ人の迫害を逃れて、こんなところに住んでいたのかなあ……」
と思ったり。

 『モーゼの泉』や『まっすぐな道』など、聖書に出てくる場所に比定される場所。(私はキリスト教には興味がなくて不勉強だったのだが、聖書って、神話とか論語みたいなものだと思っていた。違うのね……)

 十字軍の要塞だった城。
 オスマン・トルコ時代の、イスラム色の強い建物。白い石と黒い石のしましまや、タイルの青い装飾。

 洗練された街の、洗練された店やホテルやレストラン。
 喧騒のスーク(市場)。
 紅海のリゾートでは、ものすごく青い海や珊瑚礁が見れたり。(海は、沖縄やハワイよりも、ずっと濃い、なんともいえないブルーだ)
 死海では、塩分が濃いため、泳げない人も、プカプカと浮かぶことができる。
 荒涼とした砂漠では、ベドウィンのテントと羊の群れが見えたり。

 私自身はパルミラ遺跡が目当てで、あとは、マリ遺跡とかの、人類最古の文明の遺物が博物館で見れるかなー、くらいの気持ちで、それ以外はあまり期待しないで行った。
 が、こんなにさまざまなものを見ることができるとは、うれしい驚きだった。
posted by 田北知見 at 17:27 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 趣味に走ってスミマセン

2006年12月18日

冬の北海道も、いいっすね。

 18日付の日経新聞に、
「女性船長と流氷船ツアー」
という記事が出ていた。
 記事は、
「北海道 オホーツク海の流氷を砕きながら進む砕氷観光船『ガリンコ号U』で、今冬、女性船長がデビューする」
「大阪府出身の跡部 幸さん(22)で、昨年から見習い船長として操船技術などを学んできた」
「運行する第三セクターのオホーツク・ガリンコタワー(紋別市)では、『女性船長に会いに行こうツアー』『跡部船長と記念撮影ツアー』などを企画して、PRと乗船客確保に努めている」
といった内容だった。

■流氷、かなり不思議

 何年か前、冬の北海道を旅行したことがある。行ったのは、釧路、網走、知床半島だ。
 私はスキーをしないので、一面の雪を見るだけで、物珍しくて、かなり楽しかった。

 紋別市ではなくて、網走市発着の船だったが、オホーツク海で砕氷船にも乗った。
 氷を砕く時には、ガガガガガ、ゴキュゴキュゴキュ…みたいなすごい音がして、おもしろかった。
 たくさんのウミネコ(かな?)が、ミギャア!ミギャア!とか、鳴きながら、船について飛んでいた。パキーンとつめたい風と、透明感のある青空。「うーん、北の海!」という感じだった。
(あ、でも、暖房の効いた船室内に座って眺めることもできます。念のため)

 その旅行で、私は、網走から知床半島へ、列車とバスで東行した。
 途中、凍った海を見た。
 海が、波の形のまま、凍っているのだ。かなり不思議な光景だった。

 知床半島の、ウトロ(←地名)に1泊か2泊した。
 凍った海の上を歩く、現地ツアー『流氷ウォーク』に参加した。
(氷が割れたりして、海に落ちたら死んでしまうので(いや、マジで)、必ず、専門のガイドさんと一緒に行くツアーでないと、流氷の上は歩いちゃダメなのだ)

 これも、かなり不思議な経験だった。
 海の上を歩いて、後ろを見ると、陸地が遠くに見えるのだ。
「いま私は、海の上に立ってるんだよね…?」
とか思って。

■見渡す限りの雪原と、恐ろしいほどの静寂

 その旅行では、釧路湿原も見た。
 人がいなくて、全く音がない。
 また1人だったものだから、時々、
「私、耳が聞こえなくなったんじゃないよね…?」
とか思って、手を叩いてみたり、「あ」と声を出したりしてみた。それくらい、音がなかった。

 展望台から見る釧路湿原は、見渡す限りの雪原だった。
 ちょうど、観光用の機関車が走って来た。
 雪原を、真っ黒な汽車が、煙を吐いて走っている。ボオーッ!と音がした。映画のワンシーンのようだった。

 釧路郊外へ、丹頂鶴も見に行った。優雅にバッサバッサと飛んでいる姿を見て、私は思わず、
「あ、JAL……」
と、つぶやいてしまった。

 JR釧網本線に乗っての移動中、雪で真っ白な線路沿いの斜面や林に、時々、茶色いものを見かけた。
「なんだろう…?」
と思っていたら、鹿だった。
 冬は山の中でエサが取れにくくなるので、里のほうまで降りてくるのだそうだ。

 冬の北海道も、いいですよね。
posted by 田北知見 at 19:07 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 趣味に走ってスミマセン

2006年11月30日

衒いのないフレンチ。

 過日、東京・新宿の京王プラザホテルの上にある、フレンチレストラン『アンブローシア』でランチを食べた。
 総料理長の緑川廣親氏が、フランス共和国から『農事功労章オフィシエ』を受勲した記念メニューということだった。

 私はグルメ評論家ではないのだが(笑)、
「良い意味で、肩の力の抜けたメニューだ」
と思った。
 衒いがなく、ベテランにしかできない「軽み」のあるメニューだと思った。

 アミューズ・ブーシュ(突き出し)のひと品に、聖護院かぶを使ってあったり、前菜の一部に、アンコウやワカサギを使ってあったり。
 スープは野生のキノコを使っているということだった。が、ドンと切り身が入っているわけではなく、それでいて、滋味だけが濃厚に伝わってくる味だった。
 魚料理はイトヨリ鯛のオリーヴ油焼き、メインの肉料理は牛フィレ肉の焙り焼き(ホロホロ鳥かウズラも選べたが、私はこれにした)。
 肉のつけ合わせの野菜は、とくに凝ったソースがかかっていたり、なにかデザインっぽく凝ったカタチになっているわけではなく、
「どうぞ、野菜そのものの美味しさを味わってください」
と言われている気がした。
 デザートのうちの一品は、練乳を使ったアイスクリーム。

 昭和時代の日本のフレンチを思い出した。
 それでいて、新しい。かといって、わざと和風を強調したような、奇を衒った料理とは一線を画している。
 ランチだから、軽めの内容に、ということもあっただろう。

 それと、ワイン。
 私は1人なので、グラスで頼んだのだが、1杯目はボジョレー・ヌーヴォーが入っていますと勧められて、「じゃあ、それで」と頼み、2杯目は「グラスワイン、赤で」と頼んだ(←いかにもシロートくさい頼み方だw)。
 もちろん両方美味しかったのだが、とくに2杯目の重めのが美味しかった。フランスものらしい、なんというか、カビっぽい(もちろん褒め言葉)ような、石っぽいような風味。…ああ…たまらん…。

 同店は、接客を含めて、雰囲気が良い点も私は好きだ。
 たとえば私のような1人客には、「お料理は、いかがでしたか」と笑顔で声をかけ、それでいて、つかず離れずの接客をする。
 他のテーブルのように、お話がメインのお客には、邪魔にならないように、さらりと給仕する。
 昔の高級店に、まま見られた、慇懃無礼ではなく、かといって、くだけすぎない。プロの接客だなあ、と思うのだ。

 京王プラザといえば、1971年に開業した、都市型ホテルの草分けの1軒だ。
 やはし、料理も飲み物の選びかたも接客も、年数を重ねてこそ、ということがあるのかな。

 ……と、シロートのくせに、偉そうなことを書いちゃって、すみません。「おまえは、『美味しんぼ』の海原雄山か!?」と、ツッコミを入れてください。
posted by 田北知見 at 15:15 | 東京 ☁ | Comment(1) | TrackBack(1) | 趣味に走ってスミマセン

2006年10月05日

「ハギレ」と「さきおり」から岩手旅行ネタに走る。

 先日、日経新聞で、ハギレ(端切れ=必要なところを切った後にできる断片の布とか、半端に余った布)を使ってつくった昔の着物などについて、書かれていた。福島県立美術館では、10月15日まで『ハギレの日本文化誌』展をやっているとか。
 私はあまりそういったものに興味はないのだが、同じく、古布を使った「さきおり」には少し思い入れがある。

■バカにしたもんじゃない、さきおり
 「裂織」と書いて「さきおり」と読む。
 読んで字のごとく、古い布を裂いて細いリボン状にし、それを糸のように織ってつくった布だ。江戸時代あたりからあるものらしい。
 以前、青森県在住の人からその存在を初めて教わり、その後、岩手県を旅行した時にあちこちの土産品店などで見て気に入った。

 最初は、
「ちまちました手工芸品でしょ?」
とバカにしていたのだが、複雑な色重ねの美しさや、作品によっては現代的で洗練されたデザインに驚かされ、自分の不明を恥じた。

 コースターを2枚だけ買って帰った。緑色のと青いのを、それぞれ1枚ずつ。とはいっても単色ではなく、微妙にいろいろな色が重ねられている。
「岩手の、山と海の色だ」
と思って買った。

■山と海の、岩手県旅行

 おとどし行った岩手県旅行では、盛岡市からJR山田線で東行して宮古市へ行き、宮古から陸中海岸沿いに南下して釜石市へ行った。それからJR釜石線で西へ向かい、遠野市、花巻市を旅行した。

 山田線の盛岡-宮古間と、釜石線の釜石-花巻間は、なんかもう、ホントに「山の中!」といった感じだった。
 私が旅行したのは9月だったが、すでに少し肌寒かった。
 木々の緑が濃くて、それでいて透明感があって美しかった。私は木の種類は全く不案内だが、樫とか樺とかブナとか楓とか、たぶんそういう、寒いところに生える種類の木が多かったように思う。

 宮古から龍泉洞まで行ったが、その時も思った。
 木の緑と、川の水がとてもきれいだった。地元の路線バスに乗って、地元の町なかや、山や川や田んぼの中を行くのはかなり良い気分だった。

 海は、みょうに深い色で、それでいて透明感のある青だった。
 ただ、宮古から船で北山崎あたりまで行った時、太平洋は波が荒くて、水が黒に近い深緑色でちょっと怖かった。
 でも地元の人は、
「きょうは波が穏やかで良かったね」
と言っていた(笑)。

 宮古では、閉伊崎のある半島の、何とかいう山に歩いて登った。町なかのホテルから登山口まで路線バスで1〜2時間、歩きは片道2〜3時間くらいだった。
 てっぺんから見る景色も良かったが、バスから見た車窓の風景が良かった。
 海沿いの道をずっと行くのだが、途中に小さな入り江や漁港や浜が点在しているのだ。
 あるバス停なんかは、バス停の標識と椅子がポツーンとあって、背後は田んぼと山、目の前は小さな浜と海だ。
 風情があって、とても良かった。

■遠野は怖かった

 遠野は、違う意味でなんだか怖かった。

 1人だったし、せっかくなので、柳田國男の『遠野物語』を夜、ホテルの部屋で読んでいたら、幽霊(?)の出てくる怖い箇所をうっかり読んでしまった。
 もう大人なので、そういう恐怖感からはしばらく遠ざかっていたのだが、久しぶりに、すごく怖かった。

 また、同書の説話に出てくる『寒戸』地区に実際に行ってみたのだが、平日昼間だったせいか、一面の田んぼとその間を流れる細い川、低い山のふもとに家々が少しあるだけで、ほとんど人がいない。
 風が強く、川沿いに生えているススキがざわざわいっている。それ以外、何の音もない。動くものもない。
 現代の秋の昼間でもこんなに怖いのだから、江戸時代〜明治時代の冬の夜だったりしたら、ものすごく怖いだろうなと思った。
 
 地元の博物館では、遠野物語をアニメのような映像で語っていた。
 音楽やナレーターの語り口がおどろおどろしくて、すごく怖かった。
 
 山の途中にある神社へ、これまた路線バスで行った。
 途中の田んぼや山や神社の景色も良かったが、地元の乗客が良かった。
「旅行かい?」
と声をかけてくれたおじさんとか。
 地元の知り合いどうしで、
「今日は山に入って栗を拾ってたの」
と言って、バスの中で袋を広げ、おすそ分けをしている年配の女性客とか。

■賢治さんのイーハトーブ、花巻

 花巻でのお目当ては、もちろん宮沢賢治だった。

 これまた読書ネタなのだが、夕食までにちょっと時間があったので、ホテルの部屋で宮沢賢治の本を読むことにした。
 うっかり、『よだかの星』を読んでしまった。
 最初から最後まで、とても悲しいお話なのだ。
 読みながら泣いてしまい、泣きはらした目で夕食の席についた。とてもまぬけだった。

 賢治さんが『イギリス海岸』と名づけた川にも行ってみた。
 海岸というより、ヨーロッパの川みたいだなと思った。岸に木が茂っていて、水がたっぷり流れていたからだ。
 日本の多くの川は、コンクリートで護岸工事が施され、上流のダムにより、流水量が少ないので。

 岩手旅行、良かったですよ。
posted by 田北知見 at 17:07 | 東京 ☔ | Comment(0) | TrackBack(2) | 趣味に走ってスミマセン

2006年08月24日

月光写真展を見て

 東京・八重洲の大丸ミュージアムで『石川賢治 月光写真展』を見た。
 宣伝ポスターで、紺色の濃淡で石がゴロンと写っている幻想的な写真を見て、ルネ・マグリットの絵みたいだな、と気になって見に行った。

 月の光だけで撮ったという、オーストラリアの砂漠などを写した、白と紺色の濃淡の写真ばかりが並ぶ。たぶん長時間露出(というのかな)で撮ったのだろう。
 会場はかなり暗くしてあって、写真が浮かび上がっているように見える。BGMは環境音楽というのだろうか、虫の音を彷彿とさせるようなかすかな音や、アボリジニの民族楽器のような静かな不思議な音色で構成されている。砂と民族楽器などでつくられたインスタレーション(でいいのかな)も置かれていて、さらに幻想的な雰囲気を醸し出している。

 それぞれの写真を見ていると、自分が以前行った時の気分や音や匂いや空気の感じを思い出した。

 オーストラリア各地の砂漠。
 私が行ったのは、シドニーから車で2〜3時間の所にある砂漠で、ツアーだったので、写真ほど美しくはなかったが。
 参加者の1人がデンマーク出身の人で、一面の白い砂を見て、
「故郷の雪景色のようだ」
と言ったのを思い出した。
 先住民族アボリジニの民俗楽器ディジュリドゥの不思議な音色も。

 サイパンの海。
 遠浅の海が美しかった。何十メートル沖に向かって歩いても、海水は膝の高さまでにしかならなかった。
 その遠浅の場所が気に入って、日がな1日、そこで寝転んだり水に浸かっていた。早朝なんかはほとんど人がいなくて、自分を中心に半径数十(数百?)メートル以内に誰もいなかった。
 一度、雨が降ったことがある。ほとんど波のない海面を雨が叩くと、こんな音がするのか…と思った。不思議な音だった。

 ハワイ島の火山。
 写真は火が吹いているド迫力の場面だ。
 私が行ったのはツアーで、観光客用の安全な所だけだった。それでも、あちこちから水蒸気が上がっていたりして、けっこう怖かったことを思い出した。

 バリのジャングルと渓谷と草っ原。
 渓谷ぞいの散歩道を歩いたことがある。人の気配は全くないし、まるでジャングルみたいに木や草が生い茂っていて、ちょっと怖かった。そして、むわっとするあの空気。熱帯!って感じだった。
 別の時には草っ原の一本道を散歩した。どこまで行っても草っ原が続くし、あんまり人とも出会わないので、なんだか不安になって途中で引き返した。あれも不思議な体験だった。

 京都の銀閣寺向月台。
 向月台は、銀閣寺の庭にあるオブジェ(←イヤ、違うのだが)で、砂を大きなプリン型で固めて逆さにしたように見える。15世紀造営の日本庭園に、こんなものが? こりゃまたずいぶんアバンギャルドだなあ、とかなり度肝を抜かれた。向月台は後世のものだと何かで読んだ気もするが。
 私も足利義政のように、ここで月見がしたい、と思ったのだが、もちろん一観光客にそんなことは許されない。今回、写真で見れてうれしい。

 月下美人。
 写真展では、さまざまな花や植物や動物の接写もあった。
 月下美人は夜に咲いて、しかもすぐにしぼんでしまう花だ。咲かせるのも難しいと聞いたような気がする。
 私は以前、一時期住んでいた神奈川県の家で咲いたのを見たことがある。見た目も清楚で美しいが、匂いが良かった。
 その家の70代の女主人は園芸好きで、庭にはいろんな木や花が繁茂していたなあ、と思い出した。

 中国安徽省の山。
 15年ほど前、私が行ったのは桂林だが、いやホントに、墨絵そのままの景色なんだよね。
 ただ、時々、山の上に鉄塔が立っていて、現代だということを思い出させてくれるのだが(笑)。

 写真展は9月5日までやっているので、良かったら、見に行ってみてください。いろんな思い出がよみがえるかもしれません。
posted by 田北知見 at 13:33 | 東京 🌁 | Comment(1) | TrackBack(0) | 趣味に走ってスミマセン

2006年08月14日

誰一人として、

 私は歴史好きで、一時期、「日中戦争」と「太平洋戦争」に凝っていたことがある。
(その時々によって、「幕末」とか「古代史」とか、いろいろな時代に凝ってるだけの話で、別に軍事おたくとか、思想的にちょっとヤバいとか、そういうわけではないのでご安心ください)

 いろいろなものを読んだ。
 当時の本や新聞記事、将兵が家族にあてた手紙など、リアルタイムで書かれたもの。戦後、書かれたもの。
 実録ものや証言集、百科事典ふうに事実だけを並べた本。史料では、当時の陸軍の作戦地図や、当時の海軍の作戦日報(←というのか?)なども見た。
 評論。小説などのフィクションは、実際の取材や作者の経験をもとに書かれたものを中心に読んだ。
 好戦的なもの。平和を強く訴えたもの。
 淡々と事実だけを客観的に書いたもの。書き手の主観が強く出たもの。etc.
 ナナメ読みや拾い読みを含めると、数百冊は読んだと思う。

 いろいろな所に行ってみた。
 広島では、江田島のもと海軍兵学校(現在は海自の施設になっていた)の見学。原爆ドーム、平和記念資料館。
 鹿児島では、もと特攻隊基地のあった鹿屋と知覧。もちろん、ゼロ戦の実物も見た。鹿屋の資料館は確か海自の施設になっていて、説明員のかたに、ゼロ戦の簡単な仕組みや操縦の仕方を教えていただいた。
 ソウルでは、直接戦争とは関係ないけれど、日帝植民地時代の刑務所跡で、現在は「戦前と戦時中の日本人はこんなに残酷なことをしていた」展示をしている博物館。拷問に遭って亡くなった朝鮮人の遺体を写した当時の写真が大伸ばしで展示されていた。私は、
「事実を直視しなければ」
と一生懸命、目をそらさずに見ていたら、気分が悪くなってしゃがみこんでしまった。マヌケな話だ。
 東京では、靖国神社の遊就館。etc.

 各種書籍、史料、各施設の証言集のVTRなどで、実際にあの戦争を経験した人、していない人を合わせて数百人の証言や意見を読んだり聞いたりしたことになるが、誰一人として、あの戦争を正当化している人や、最も好戦的で勇ましいことを言う人も含めて、誰一人として、「ぜひまた戦争したい。まっ先に自分が前線へ行って一番に死にたい」と言う人はいなかった。
posted by 田北知見 at 13:40 | 東京 🌁 | Comment(1) | TrackBack(0) | 趣味に走ってスミマセン

2006年08月02日

歴史作品、ふたつのタイプ

 作家の吉村昭が亡くなった。
 報道では「歴史小説や記録文学で功績」と報じられている。
 その作品は、なんというか、ひたすら事実を積み重ねて行って、その出来事なり、人物なりを浮き彫りにしていく、そんな感じだ。それで「記録文学」と言い表されているのかもしれない。
 私にとっては、尊敬している作家の1人だ。

 歴史に、…戦争でも何かの出来事でも特定の人物でも何でも良いのだが、歴史に題材を取った小説…、いや、厳密には小説と呼べないのではないか、と思われる作品もあるので、ここでは勝手に「非ノンフィクション」(ストレートに「フィクション」と呼ぶには違和感があるので)と呼んでおく。その、非ノンフィクションは、私にとっては大雑把にいって、2種類に大別される。

 たとえば、司馬遼太郎の作品。
 絵でいうと、印象派とか、似顔絵イラストみたいな感じだ。史実を柱にして、柱と柱の間にあるものは創作する。「あり得たかもしれない」出来事を創る。人物像も、少しデフォルメしたり、かなり特徴づけて描かれる。
 山田風太郎(…ここに入れて良いものかどうか…w)や柴田錬三郎もこのタイプだ。
 別に歴史や歴史上の人物に対して誠実でないというわけではなく、
「小説は、面白おかしくなくっちゃ」
という考え方なのだ。
 司馬遼太郎が生前、インタビューで、記者から、
「あなたの書くものは、必ずしも史実に即していないようだ。史実をありのままに書くつもりはないのか」
という意味のことを訊かれて、
「そんなものを書いても、読む人に元気をあげられないじゃないか」
という意味のことを答えたそうだ。

 もうひとつは、吉村昭のように、事実だけを、または綿密な調査や取材の結果、事実と判断したことだけを書いていく作品。
 絵でいうと、17世紀オランダ絵画や、写実主義の絵のような感じだ。藤沢周平もこっちのタイプだ。
 冒頭にも述べたように、事実の集積によって、歴史上の出来事や人物を描いていくやり方だ。より綿密な調査や取材が必要になる。根気のいる仕事だ。
 以前、吉村昭がエッセイで(いや、もしかしたら白石一郎とか別の作家だったかも。違ってたらすみません)、
「1行を書くために、数日かけて調査した」
みたいなことを書いていた。それも、こちらのタイプの作家たちには、珍しいことではないのだろう。

 私はどちらのタイプの作品も面白いし、スゴイと思う。尊敬する。
posted by 田北知見 at 11:33 | 東京 🌁 | Comment(0) | TrackBack(0) | 趣味に走ってスミマセン

2006年06月28日

ちょっと昔の日本語。

 しつこくて申し訳ないが、歴史・時代小説ネタ、もういっぱつ。

 歴史・時代小説を読み始めた最初のころ、司馬遼太郎や、池波正太郎、柴田錬三郎とかの小説で、使われている日本語や、文の書き方や、文の感じが、なんだかすごく独特な気がして不思議だった。昭和30〜50年代くらいに書かれた小説だ。
 たとえば同じ時代小説でも、同世代の藤沢周平や、少し世代は下るが、津本陽や宮部みゆきとかの使う日本語や文の感じと違う。なんでだろう? と思っていた。
 その後、さらにもう少し古い時代、戦前〜戦後すぐのころに書かれた時代小説を読んで、初めて合点がいった。
 読んだのは、野村胡堂の『銭形平次捕物控』や岡本綺堂の『半七捕物帳』、林不忘の『丹下左膳』あたりだ。吉川英治の『宮本武蔵』もここに含まれる。
 講談調、というのだろうか。
「さてさて…」とか、
「なんといっても○○なのだ、××は」
みたいな語り調子なのだ。
 ああ、これかあ、この雰囲気なのか、と思った。
 もちろん、司馬にしろ池波にしろ柴田にしろ、それぞれのオリジナルの文体を持っていて、他の作家と似ているわけではないのだが。
 最近(といってもこの10年くらい?)の作家でいうと、浅田次郎や米村圭伍の一部の作品がそうなのかな。きちんと読んだことはないので、私にはよくは分からないが。
posted by 田北知見 at 10:24 | 東京 🌁 | Comment(0) | TrackBack(0) | 趣味に走ってスミマセン

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