2008年07月18日

誕生日。

 きょうは私の誕生日。
 あ、なんか↑そういう歌、あったなあ。

 なんということだ。40歳になってしまった。
 40歳…よんじゅっさい…重た〜い響きだ。うわ、今、肩にドスッと来た、まじで。

 40歳以上の皆様、40歳になった時、どんな風に思いましたか?
「俺もオトナになったなあ」とか?
「ふふ…あたくしも、ようやく不惑ね…」とか?

 私は、
「40歳? えっ、それ誰の年? 私? うそお」
みたいな感じである。まだ全然オトナじゃないっす。
 で、見た目や体力は年相応なところがまたイタイ。

 今の時代、↑こういう感想を持つ人も多いのではないだろうか。
 それとも、デキた人はそんなこと、思わないのだろうか。
posted by 田北知見 at 19:54 | 東京 ???? | Comment(0) | TrackBack(0) | 〜について思ったこと

2008年03月18日

こんな国、私だったら、イヤだ。




 以前、シリアとヨルダンに行った時、この映像に出てくるような服装をした女性を多く見た。
 美しいなあ、とは思った。
 が、強制されるとなると、また話は違うと思う。

 聞いた話だが、イランでは、外国人観光客も、そういう服装を強制されるらしい。
 また、ちょっと話は違うが、戦時中の日本も似たようなものだったらしい。モンペ以外はダメとか、「パーマネント禁止」とか。

 そんな国はイヤだなあ。

 私が行ったシリア・ヨルダン旅行はツアーだったのだが、自由時間に1人で街を歩いた。
 イラクほど戒律に厳しくない国なので、外国人観光客は、上記の服装は強制されない。
 なので私は、最初は頭に何も着けずに歩いていた。
 けれど、周りの女性が全員、かぶりものをつけていると、また、男性たちからの凶暴な視線(「バチ当たりめ!」)を感じて、思わず、胸元に巻いていたショールを、頭からかぶった。

 イスラム圏では、男性が女性を殺しても、場合によっては罪にならないらしいと聞いたこともあるし。
 そうやって、精神的に、社会的に、女性はジワジワと人格を奪われていくんだなあ、と実感(疑似体験)した。

 そんな国はイヤだ。
posted by 田北知見 at 16:58 | 東京 ???? | Comment(0) | TrackBack(0) | 〜について思ったこと

2008年03月04日

春が来ている・・・

 きのう、会社帰りに道を歩いていたら、どこからともなく、沈丁花の匂いが漂ってきた。

 会社帰りのスーパーで、「桜風味」のマドレーヌを売っていたので、買ってみた。

 スギ花粉がいっぱい飛んでいる。ハックション!

 …春だなあ…。
posted by 田北知見 at 17:58 | 東京 ???? | Comment(0) | TrackBack(0) | 〜について思ったこと

2008年03月03日

「プレミアム」について。

 過日、東洋経済オンラインで『遠藤功のプレミアム戦略』()という記事を読んだ。

 内容を、私なりにかなり乱暴にまとめさせていただくと、
「プレミアムとは、通常のブランディングより遥かに高い位置にある、ぶっちぎりのブランディング」
「切り詰めたコストを積み上げた価格設定ではなく、先に価格を決めて、それに見合う高いレベルのものづくりと、イメージづくりなどの戦略を行なうこと」
「日本の(一部の)ものづくりも、そうあるべきだ。でないと、欧米先進国のような高付加価値のものに追いつかず、新興国には追い抜かれて負ける」
ということらしい。

■工業化に、ちょっと先んじただけ?

 これを読んで、私は、
「しかし、日本のものづくりで、そんなことができるのかなあ…?」
と思った。
(イヤ、「できるできない」ではなく、やらなきゃ勝ち残れない、という話だというのは、解っているのだが)

 欧米のように、歴史や文化その他により、国のイメージじたいに「プレミアム感」が漂うわけではなく。
 それでいて、新興国のような、がむしゃらさは、もうない。
 日本なんてしょせん、他のアジアの国より、ちょっと先に工業国になれただけの国じゃないか。と、ちょっと卑下してみたり。

■ポルシェ、フェラーリ、トヨタ

 たとえば、記事中に、ポルシェの例が出てくる。
 遠藤氏は、ドイツの同社ドライビング・サーキットでの体験を語っている。

 私も国内で、ポルシェに何度か同乗させていただいたことがある。公道なので、もちろん時速300キロなんて出ないのだが、確かに、あの加速感は、車シロートの私ですら、「さすが」と感じた。

 一方で、たとえばトヨタ車に同乗させていただく機会も多い。
 その時の感想は、やはり、「乗っていて疲れない」「ずいぶんいろいろ便利な機能がついてる(車種やオプションにもよるのだろうが)んだなあ」とか、そういう感じだ。
 良い悪いは別として、大げさにいうと、日本車というか、日本のものづくりを象徴している気がする。

 また、以前、村上龍がエッセイに書いていた話を思い出した。
 F1レースのフェラーリ・チームで、エンツォ・フェラーリが存命中のエピソードだ。

 レース中、車両に不具合があり、
「だましだまし、ゆっくり走れば完走はできそうだが、優勝は望めない」
「無理して飛ばせば優勝できそうだが、途中でリタイアする可能性は高い」
という状況になった。
 スタッフ全員が、「どうします?」という感じで、エンツォ・フェラーリを見た。彼はすかさず言った。
「われわれは、イタリア人だろう」
 その瞬間、「後先気にせず、とにかく飛ばせるところまで飛ばそう」と決まったそうだ。

 そのエピソードを紹介したうえで、村上は、要旨、次のようなことを書いている。
「これが『われわれは、日本人だろう』と言ったら、どういう意味になるのだろう。『会議をひらいて慎重に決めよう』か?」

■欧米コンプレックスは過去のものか

 一方で、
「欧米(ブランド)には、かなわない」
という私の価値観は、一定以上の年代の日本人だけが持っているんだろうか。と思うこともある。

 たとえば、先日、若い人(といっても30代前半)と、
「もし何でも買えるとしたら、クルマは何を買うか」
みたいな雑談をしていた。

 その人が、
「俺だったら、レクサス」
と言ったので、私はビックリした。
 私だったら、それくらいのお金を払うなら、ジャガーとかベンツを買うと思う。
 そう言うと、その人は、
「あー、なるほど…」
と言いつつも、淡々と、レクサスの良さ、すごさをいくつか挙げてみせたのだった。

 一定以下の年代の人にとっては、どこの国のものかはあんまり関係なくて、自分にとって良いものは良い、好きなものは好き、ということなんだろうか。
 もしそういうカスタマーが(国を問わず)増えてくるならば、良いものを誠実につくることのできる日本に、勝機(商機?)はあるのかもしれない。と誇らしげに思ってみたり。
posted by 田北知見 at 18:19 | 東京 ???? | Comment(0) | TrackBack(0) | 〜について思ったこと

2008年02月19日

改正建築基準法で思ったこと。

 以前、一時期、よく見ているサイトがあった。
 『2ちゃんねる』とか『ヤフー知恵袋』みたいに、参加者がスレッドを立て、それを見た人がどんどんレスを入れていくサイトだ。

 ある時、建築業界の人がスレッドを立てていた。
「建築基準法の改正で、業界は惨憺たる状況です。
 僕の仕事(会社)も大変苦しいことになっています。
 他の皆さんは、いかがですか?」
という趣旨だった。

 私は、要旨次のようなレスを入れた。

「法改正当初は、どんな業界でも混乱するものです。1〜2年で混乱は収まるでしょう。
 私は仕事で建築・建設・デベロッパー・不動産などの企業さんのお話を聞くことがありますが、短期的には業績が悪化している企業さんが多いです。」

■その1〜2年がもたない

 後日、そのスレッドを見ると、業界関係者からのレスがいくつか、ついていた。
 要旨は、次のようなものだった。

「うちは零細企業なので、その1〜2年がもたないでツブれるかもしれません」
「来年どころか、来月の運転資金がどうなるか…」
「ゼネコンやデベロッパーは様子見で、建たないと仕事のないうちら下請けは地獄です」
「そのうえ、たぶん、その経費増は、下請けや孫請けに転嫁されるでしょう」

■無意識な傲慢への反省

 私はいつも、考え方としては、あるいは書く立場として、
「絶対に、上から目線はしない。
 机上でデータをいじくるようなことはしない。
 地に足の着いた生活者としての視点で見る/書く。
 強者と弱者なら、弱者の立ち位置で。なぜなら私もそっち側だから」
と思っていたのだが、まだまだ無意識に傲慢だったのだろうか、と自分を恥じた。
posted by 田北知見 at 17:14 | 東京 ???? | Comment(0) | TrackBack(0) | 〜について思ったこと

2008年02月01日

ケニア…(T_T)

 ケニアは、アフリカ大陸の国々のなかでも、比較的、政情が安定していて、経済的に進んでいる国というイメージを、シロートながら持っていた。
 首都ナイロビは、大陸でも有数の大都市だと、何かで読んだ憶えがある。
 なぜこんなことに…?(T_T)


posted by 田北知見 at 14:15 | 東京 ???? | Comment(0) | TrackBack(0) | 〜について思ったこと

2008年01月11日

井上雄彦の『リアル』。
ふつうにスポーツ漫画。

 井上雄彦のマンガ『リアル』7巻を読んだ。1巻からずっと、新刊が出るたびに読んでいる。

 一応、車椅子バスケを軸とした、「障碍者もの」なのだが、同時に、若者たちが生きる道を模索している、「青春もの」でもある。
 加えて、今巻では、「スポーツもの」の色が濃かったり。(一世を風靡した『スラムダンク』の作者たる面目躍如)
 車椅子バスケを、特殊な人たちがやる特殊なスポーツではなく、数あるスポーツのひとつとしているわけだ。

■障碍者スレッド

 そこから話は飛ぶが、最近、よく見ているサイトがある。
 そのサイトは、ヤフー知恵袋や2ちゃんねる のように、参加者がスレッドを立てて、他の参加者がそれに対してレスをつけるものだ。(ただし、管理者が「管理」しているので、2ちゃんねる のようにエグくはない)

 そのスレッドのひとつに、障碍者(障碍児)についてのテーマがあった。
 スレッドもレスも匿名でカキコめるので、かなり生々しいホンネが書かれている。

■大学時代、友人に連れられて…

 またまた話は飛ぶが、大学時代、友人に連れられて、障碍児保育園の運動会のお手伝いに行ったことがある。
 友人は教育学部の肢体不自由児課程にいる人だったが、その保育園は肢体不自由児だけでなく、知的障碍とかの子供たちも在籍していた。

 恥ずかしい話だが、最初は、子供たちを直視できなかった。

 まず、やはり見た目や言動が「ふつうの」子供たちとは違う。解っていても、やはり目の当たりにすると衝撃だった。
 それまで、街で、あるいは同じ小学校で(私が行った地元の公立小学校にには、「特殊学級」があった)接したことはあったのだが、そんなに一どきにたくさんの子と一緒にいたことはないので。

 もうひとつの理由は、「どう見たら良いのか、判らなかった」からだ。
 かわいそうと思ってはいけない。
 特殊だと思うべきではない。
(以前、障碍者先進国(?)アメリカ系の雑誌で、車椅子の活動家が「私を気の毒な障害者だと言わないでほしい。多くの人たちと、移動の仕方が違うだけなのだから」という発言を読んだことがある)
 でも、障碍があるのは事実で、その部分のハンディに対しては、フェアに接さなければいけない。
 とか、いろいろ、考えてしまって。

 一緒に行った、別の友人(女子、家事手伝い)は、
「かわいそうな子たちを、親切にお世話をする」
って感じで、やさしく接してたけど。それは私はイヤだと思った。

 あと、私はあれが苦手なのだ。
 障碍者関連の仕事や活動をする人たち(教育学部の友人も、この範疇)や、親たちの、
「障碍があっても、明るく前向きに!」
みたいな、なんか独特の雰囲気が。

■自己欺瞞≠現実

 「やさしく」接するのも、「障碍があっても、…」と事実を直視せず、理想を言い立てるのも、欺瞞…いや、自己欺瞞? なんかそんな気がしていたのだ。(ヒドい言い方ですみません)
 結局、私は、健常の子供たちと同様に、ふつうに接した。とくに問題はなかった。

 それから約20年経った、先日。前述したスレッドとレスを読んで、
「あ、私の感覚は、間違ってなかったんだ」
と思った。
 事実を冷徹に直視して、そのうえで現実的に、事実を受け入れるなり、努力するなり、嫌うなり、逃げるなり、すればいいのだ。
 そこに書かれていた、障碍者のきょうだい/親/身内/友人知人 たちのホンネを読んで、そう思った。

 ところで、今年は北京オリンピックの年だ。もちろん、パラリンピックも開催される。

posted by 田北知見 at 19:59 | 東京 ???? | Comment(0) | TrackBack(2) | 〜について思ったこと

2007年12月27日

資源は誰のもの?

■アラ石のクウェート・カフジ油田撤退

 今朝の日経報道で、
「元祖 『日の丸 油田』に幕」
「アラビア石油、カフジ撤退」
という記事が出ていた。以下に一部、引用する。

>AOCホールディングス傘下の、石油開発会社であるアラビア石油は、クウェート・カフジ油田の操業から撤退する。来年1月4日に期限切れを迎える、技術者派遣契約の更新交渉が、不調に終わったため。カフジ油田は日本企業にとって、戦後初の自主開発油田だったが、半世紀に及ぶ、元祖「日の丸油田」の役割を終える。

>操業経験を積んだクウェートは、人件費の高い、約50人のアラ石社員を、自国技術者に置き換えたほうが得策と判断、(交渉の)打ち切りを決めたもようだ。

>カネとヒトを出す見返りに資源を得る、従来戦略が、曲がり角に来たことを象徴する。

>原油高で、潤沢なオイルマネーを手にし、資源開発の経験も積んだ産油(諸)国にとり、消費国からカネとヒトを得る魅力は薄れつつある。

>ヒトとカネの流れは双方向になりつつある。環境技術の移転も含め、資源獲得には多元的な関係構築が欠かせない。

〈引用おわり〉

■資源はその国の人たちのもの?

 この記事を見て思い出したのが、下に掲載する、AFPの報道だ。





 また、以前、このブログでも、タンザニアモンゴルの話で、ちょっと似たようなことを書いたりした。

 今回のクウェートに限らず、ロシアにしろ、アジアの途上国・新興国にしろ、
「先におカネと技術を出させといて、さんざんおいしいトコ取りをしたところで、『はい、ごくろーさん』かい?」
という気もするし、
「でも、資源はもともと、その国の(人たちの)ものだ」
とも思うし。
 …うーむ…。難しい問題だ…。
posted by 田北知見 at 17:03 | 東京 ???? | Comment(0) | TrackBack(1) | 〜について思ったこと

2007年10月10日

自分の中の「和」

 先日、「阿波踊り」を見た。
 といっても、住んでいるマンションのベランダから。
 私が住んでいるのは、東京都中央区の、下町というか住宅街にある、賃貸マンションだ。
 ベランダから見える所に商店街があり、そこを、阿波踊りのいくつかの連(グループ)が、移動しながら踊ったり、途中で止まって踊ったりしていた。

「踊るアホウに見るアホウ、
 同じアホなら踊らにゃソンソン…」

と聞こえた気がしたのだが、…気のせいか…? 今はあんな囃子はしないのだろうか…?

■鉦や太鼓にウズウズ

 部屋で用を片付けていると、囃子が聞こえてきて、
「え? なになに?」
みたいな感じでベランダに出て、
「おお、阿波踊りか」
と、しばらく見ていたのだが、
「…まあ、そんなに根を詰めて見るものでもないし」
と思って部屋へ引っ込み、用事を続けた。

 が、鉦や太鼓が鳴り、笛や三味の音が聴こえ、囃す声が聞こえる。
 ウズウズしてしまって、用が手につかない。
 それで、再びベランダへ出て、あとは最後までずっと見ていた。
(といっても、1〜2時間くらいだけど)

 われながら、物好きだなあ。

■和風の花

 先日、道を歩いていたら、おしろい花の匂いがした。

 おしろい花は、都内の路上でも、時々見かける。
 でも、ふつうはいちいち立ち止まって匂いをかいだりはしない。
 そこはたまたま、叢生していたので、匂ったのだろう。
 おしろい花の匂い、久しぶりにかいだ。
「ああ、そうそう、おしろい花って、こんな匂いだったよね」
と思い出した。

 子供のころ住んでいた家の庭には、いろいろな花があった。
 山吹小手毬鶏頭南天木瓜(ぼけ)、水仙。池には河骨(こうほね)とか。
 当時は、そんなに気にしてなかったけど、この手の花は、大人になって見ると、「美しいなあ」と思うようになった。

 ほかにも、和風の花。
 桔梗撫子(なでしこ)なんかも、昔は「地味〜」とか思っていたが、大人になってから良さが分かるようになった。

■四季と風景

 私は地方(山口県下関市)で生まれ育ったので、子供のころは、周りに田んぼや畑がふつうにあった。
(今は田んぼもかなり無くなって、宅地になってしまっているが)

 春は、紫雲英(レンゲソウ)。畑には、菜の花。
 田んぼに水が張られると、水面に水草が広がっていく。
 カエルが、クェックェックェッと鳴く。緑色の、小っちゃいやつだ。
 秋には穂が実り、田んぼが一面、黄金色になる。畦には、赤い彼岸花

 冒頭書いた、「鉦や太鼓にウズウズ」っていうのも、私は子供のころから毎年欠かさず、地元のお祭りに行ってたからだ。

(毎年8月に『忌宮(いみのみや)神社』で行なわれる、『数方庭』(すほうてい)というお祭りだ。
 長い竹でできた幟を持って、境内を練り歩くというもので、私は子供のころ、「こんなお祭り、ほかにはないだろうな」と思っていた。
 が、長ずるにつれて、秋田市の『竿燈まつり』など、同じような、それでいて、もっと華やかで、もっとスゴイお祭りがたくさん存在すると知って、ガックリしたのだった(笑)。)

■「フジヤマ、ゲイシャ」?

 以前、日経新聞の『春秋』に、
「ずっと室内でコンピュータゲームをやっている子供は、大人になってから、どんな季節感を持つのだろうか」
みたいな内容が書かれていた。

 また、最近よく指摘されるのが、若者が「和モノ」を、ファッションやイベントなどに取り入れるようになっているという話だ。

 しかし、私の印象では、彼らにとっての「和」とは、ガイジンさんが「フジヤマ、ゲイシャ、ワンダフル!」と言っているような感じがする。
 自分の中にあるものではなく、エキゾチックでフォークロアな(←ナンノコッチャ(笑))、自分の外にあるものとして「発見」し、「へぇー、こんなものがあるんだ。ファッションに取り入れてみようか」と言っているように見える。

 それが悪いとは言わないが、地方育ちの非・若者で、上記のように、時々「私って、日本人だなあ」と内から実感する人間から見ると、しっくりしないものを感じることがある。余計なお世話だけど。(笑)
posted by 田北知見 at 16:10 | 東京 ???? | Comment(0) | TrackBack(0) | 〜について思ったこと

2007年08月15日

竹ヤリとバブルとオレオレ詐欺
〜終戦記念日に寄せて

 以前、ほんの一時期だが、70代の女性としばらく一緒にいたことがある。(いまは80歳くらいになっているかな)

 親戚とかではなく、まったくの赤の他人だ。
 家族や親戚や親しい友人・知人なら、バックグラウンドとか、考え方が、ある程度、似ている、あるいは馴染みがある。
 しかしその人は、赤の他人なので、私とは、生き方や考え方が、まるで異なる人だった。

■竹ヤリで本気で戦おうと

 彼女は昭和ヒトケタの生まれで、終戦時は10代半ば〜後半くらいだった。
 戦前・戦中の学制でいうところの「女学校」出で、戦後は一時、教師を務めていたような、賢くて教養のある人だ。

 その彼女が、何かの折に、戦争中の話になった時、私に言った。
「当時は、米軍が来たら竹ヤリで戦おう、って本気で思ってたわ」

 私は驚いた。

 だって、私が読んだ、当時の人が当時書いた物の多くは、たとえば、
「こんな勝ち目のない戦争に日本を引きずり込んだヤツらは、報国の徒ではない。亡国の輩だ」
みたいな内容が多かった。
 それも、全く違う人が、全く違う場所、全く違う時に、日記や手紙として、書き残したものだ。
 学徒出陣などで、若くして出征し、戦死・戦病死した人が多かった。なので、戦後、「戦争への反省とともに」書かれたものではない。戦時中にリアルタイムで書かれたものだ。

 それで、私は彼女にそう言った。
 すると彼女は、
「でも、当時は情報統制されていたのよ」
と反論する。

 しかし、と私は思った。
 常識的に考えて、食べ物・物資・燃料は欠乏する、空爆はバンバン来る、男性はドンドン兵隊に取られて帰って来ない、あるいは白木の箱となって帰って来る。
「どう考えても、大本営発表は、あやしいんじゃないか…?」
と思うだろう。
 というか、実際そう思っていた人は多かったようだ。私も、当時その場にいたら、たぶんそう思っただろう。

 でも、いま目の前にいるこの人は、上から言われるまま、何の疑問も持たずにそれを信じ、また、もし機会があれば、命令されるまま、米軍の爆撃機や機銃掃射に、竹ヤリで向かって行くつもりだったのか…。

 そう思うと、私はぼう然としたのだった。

■マスコミに反論するなんて

 ちょうどそのころ(いまから数年前)、大手メーカーの自動車の、タイヤが外れる事故が相次いで起き、人死にまで出る騒ぎになっていた。
 当初、自動車メーカーは、「使用者(運転手)側の整備不良」で押し通していた。そして、新聞やテレビの報道も、そのメーカー発表をそのまま流していた。

 でも、私は、どう考えても、
「整備不良で、タイヤがいきなりボコッと外れて飛んで行くか? しかも、何件も相次いで起こっている。その全てが整備不良なんて、偶然の一致にもほどがある」
と思っていた。

 それを言うと、彼女は、私をたしなめた。
「あなたごときが、大新聞やNHKの報道に反論するなんて、おこがましい。新聞やテレビが言っているのだから、間違いはないのだ」
という趣旨のことを言った。

 その後の調査の結果、事実は、やはり製造側のミスだった。その後、メーカー側は、製造物(製造者)責任を認めた。

■人について行けば、大丈夫

 彼女は、同世代の人たちで構成する「歩こう会」に入っていて、時々、お友達と一緒に、自然のなかや史跡などを歩きに行っていた。

 その時々で行き先は異なり、世話役さんが、事前に、ルートや地元の見所などを調べて、地図や資料などを渡してくれる。

 彼女は言った。
「でも、地図なんて見ないのよね」
 私は訊いた。
「どうしてですか?」
「だって、幹事さんや、他の人について行けばいいんだもの」
「怖くないですか? 自分がどこにいるのか、どこへ向かっているのか、分からないなんて。迷子になっちゃうかもしれないし」
「一生懸命、ついて行けば大丈夫よ」

■レミングでなければ、生きていけない時代だった

 彼女の考え方や生き方は、私から見たら、「はぁ!?」というような、考え方や生き方だ。

 戦争中は、言われるままに必死で戦争に加担し(勤労奉仕で、武器弾薬をせっせとつくっていたりもしたそうだ)、高度成長期やバブル期はがむしゃらに働き、老後はオレオレ詐欺に高いお金を払う(彼女はオレオレ詐欺には遭わなかったが、あやしげな「リフォーム」や「消火器」に、高いお金を払っていた)。

 私は、戦時中やバブル期のことを思うと、
「日本人って、レミングみたいだなあ」
と、いつも思う。

 けれども、私には、彼女を愚かだと断じる資格はない。
 そういう時代・世代だったのだ。

 軍隊で、上官に楯突いたために、最前線に飛ばされて、一番に死ぬハメになった人たちの話は、イヤというほど読んだ。
 また、戦時中はご近所や町内で孤立したら、生きていけないような仕組みになっていた。
 高度成長期には、多くの日本人が滅私奉公的にモーレツに働いたおかげで、こんにちの経済大国ニッポンの礎ができた。

■オトナの判断ができる、成熟した国に

 しかし、いまの多くの日本人は、もう違う。

 先日、報道された調査結果では、国民の8割が、愛国心が「ある」または「ある程度ある」と思い、そのうちの9割が、日本が戦前・戦中に行なった侵略や植民地支配を「反省する必要がある」と答えたそうだ。

 上から言われるままに、何も考えず滅私奉公するのではなく、
「日本という国は好きだが、悪いところは冷静に見つめ、間違いは間違いだ」
と、客観的な判断ができる。

「クロかシロか」
ではなく、
「クロもシロもある。グレーだって、マーブルもようだってアリだ」
という、オトナの判断ができる。

 日本は、成熟した国になっている。もう二度と、同じ間違いを犯さない。
 そう思いたい。
posted by 田北知見 at 17:09 | 東京 ???? | Comment(0) | TrackBack(0) | 〜について思ったこと

2007年07月26日

自然や文化の保持と、経済成長の両立



 この手の話を見る(聞く/読む)と、いつも思う。
「こんなに美しい自然や景色が、破壊されてしまうのか…」
「純朴な人々が、カネ(経済)の洗礼を受けて『汚れて』しまうのか…」
と。

 でも、そんなのは外国人の勝手な言い分で、現地の人々は、やはり、「先進国」の人と同じような生活がしたいと思うのだろう。代わりに、カネでは買えない、いろんな大切なものを失ってしまうとしても。

 ただ、この映像を見て気になった。
 採掘業者さんも、不動産業者さんも、白人だったのはなぜだろう? モンゴル人の多くは、その恩恵に浴してないってことかな?

 一方で、もし、国民皆が、昔の日本みたいに経済成長の恩恵を受けることができるのなら、「美しい景色」なんて捨てちゃってもいいのかも。(私はそうは思わないが、少なくとも、高度成長期の日本人の多数のコンセンサスでは、そうだった)

 最近、司馬遼太郎の『街道をゆく』モンゴル紀行を読んでいる。(同時並行でいろいろ読むので…(笑))
 司馬がモンゴルに行ったのは、1970年代だったようで、いまとはだいぶ様子が違うようだ。途上国であり、かつコテコテの社会主義国で、ソ連(当時)との関係が濃厚な国。
 そういう国を旅行するのは、かなり大変だったようだ。

 それを考えれば、「ひらかれた国」になるのは、必ずしも悪いことではないのかも。と思ったりもする。

 しかし一方で、椎名誠が書いていた。
「モンゴルはいい。ただし、遊牧民から渡された馬乳酒に、馬の毛が入っていたりする。それを、『ヤダー』と思うような人には、モンゴルの良さは解らない」
みたいなことを、昔、読んだ憶えがある。(椎名がモンゴルに「かよって」いたのは、たぶん1980年代頃)

 自然や、昔ながらの文化保持と、産業・経済成長。なんとかして両立していってほしい。失敗した先輩国(日本)の国民としては、そう思う。
posted by 田北知見 at 17:22 | 東京 ?? | Comment(2) | TrackBack(0) | 〜について思ったこと

2007年07月23日

スポーツ選手と、「花道」について。

 いま日経朝刊『私の履歴書』では、読売巨人軍の長嶋茂雄 終身名誉監督の連載が行なわれている。

 長嶋茂雄といえば、一時代を築いた偉大な野球選手・監督であり、一定以上の世代の人にとっては、特別な響きを持つ名前だろう。

 私は野球に限らず、スポーツ全般に、ほとんど興味がない。なので、長嶋氏の連載を読んでいても、
「ああ、すごかったんだなあ」
と敬意を感じる程度だ。長嶋ファンの皆様には、大変なお叱りを受けそうだが。

 ただ、1箇所、
「うわ、まじで尊敬するわ」
と思ったことがある。
 それは、引退前後のくだりだった。

■現役選手であり続けることへの執念

 記事によると、伝説の巨人軍V9達成後の1973年10月。
 川上哲治監督が、長嶋氏に、
「今年限りでバットを置いて、わしのあとを継がんか」
と、引退を勧告した。
「いまが引き際だ」
と。

 しかし、長嶋氏は「現役を続けたい」と食い下がった。
「もう1年バットを持たせてください。お金もいりません。名誉もいりません」

 結果、もう1年、選手を続けることになったが、翌年シーズンは、やはり不振。長嶋氏の選手としての最終年は、打率2割4分4厘。そして、巨人軍は10連覇できなかった。

 私はこのくだりを読んで、感動した。
「このひとは、本当に野球が好きなんだなあ…」
 V9の時点で辞めていれば、絶頂で、カッコよく辞められたのに。でも、そうはせずに、できるギリギリのところまでやって、「やっぱりダメなんだ」と納得してから、辞めたかったんだろうな、と思った。

 成績不振の時に辞めたとしても、彼にとっては、いや、応援する側にとっても、
「よくやった」
「精一杯、がんばった」
と、充分に、「花道」だったのだろう。

■後進に、花道を譲る

 話は飛ぶが、この話で思い出したのが、相撲の横綱「ウルフ」千代の富士だ。
 1991年の引退直前。当時、まだ18歳で日の出の勢いだった、貴花田との立ち合いだ。

 まるで、わざと、
「後進に(花)道を譲る」
ために立ち合ったように見えた。
「ああやって、後輩に敗けてみせて、道を譲るというのが、思いやりというか、しきたりみたいなものなのだ」
と教わった憶えがある。

 むかしの歌謡番組で、先に歌っていた歌い手さんが、ステージのスソに引っ込む時、次に出る歌い手さんに「どうぞ」というように手を差し伸べていた。
 あんな感じだろうか。人々が、お互いに思いやりあっていた、古き良き時代のしきたり。

■カッコよく辞めるのがトレンド

 でも、いまは、人気絶頂期に、あるいは選手として脂の乗った時期に、辞めることがトレンドみたいだ。
 たとえば、サッカーの中田英寿。テニスの伊達公子。
 もちろん、ある意味、カッコいい辞め時を選んだように見えるが。
 また、まだ元気なうちに選手を辞めて、旅行やおしゃれやプライベートを楽しみたいという気持ちも解るが。

(私はスポーツにはまるっきり疎いので、ぜんぜんハズしたことを書いてるかもしれませんが、その場合は、すみません)

 また、以前、ある評論家が、江川卓について、
「あの人は、野球があまり好きではなかったんじゃないか」
と評していて、笑ったことがある。
 確かに、高卒時にプロへ行かずに大学進学したり、巨人軍入団時のあれやこれや や、けっこうあっさり引退したことなどを鑑みると、そうかもしれない。(笑)

■ホントにそのスポーツが好きで

 私はやはり、野球の桑田真澄や、野茂英雄、サッカーの三浦和良、中山雅史など、
「ホントに、野球(サッカー)が好きなんだ」
みたいな感じで、しぶと〜く現役選手を続けているタイプの人たちが好きだし、尊敬してしまう。
 本人はもちろん、彼らを支える、家族や周囲の人は、大変だろうけど。

 もしかしたら、現役に固執する人と、あっさり引退する人の違いは、
「そのスポーツが本当に好きでやっている」
のか、あるいは、
「有名になる/お金持ちになるための、手段に過ぎない」
のか、の違いだったりして…?
 と、勝手なことを考えたりした。
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2007年07月17日

もののふどもが、夢のあと。
――滋賀県 琵琶湖東岸に旅行して

 7月14〜16日の3連休、滋賀県へ旅行に行った。

 行ったのは、琵琶湖の東側で、長浜市、彦根市、安土町だ。
 観光した場所は、次のとおり。

〈長浜市〉
長浜城:木下藤吉郎(豊臣秀吉)が建てた城を再現(再建)。なかは歴史博物館になっている。
・ 琵琶湖沖の竹生島に、船で行った。
・ あと、お寺と神社いくつか。
・ 黒壁ガラス館:地元の作家さんのガラス製品とかが売ってある。そのあたりは、『黒壁スクエア』といって、観光客向けのお店とかが並ぶ一郭となっている。

〈彦根市〉
彦根城:江戸時代をつうじて、彦根藩主、井伊家代々の居城だった。江戸時代の建物が現存。
埋木舎(うもれぎのや):井伊直弼が青年時代に住んでいた屋敷。
・ そして、『ひこにゃん』グッズを大人買い。(笑)

〈安土町〉
安土城址:織田信長が築いた安土城の城跡。現在は石垣くらいしか残っていなくて、しかも山の上。登るのが大変で、汗びっしょり、足ガクガク。(笑)
・ 信長と安土城関連の博物館×3ヵ所
観音寺城址:佐々木六角氏が建てた、中世の城跡。現在は石垣すら、ろくに残っていなくて、しかもすごい山の上。……登るの、大変だった…いやホントに…。

■なぜ、残る/再建される城と、
落城したまま放置される城があるのか


 長浜城は再建され、彦根城は残っている。
 安土城と観音寺城は、あとかたもない。
「この違いは、なぜだろう」
と考えてみた。

 まず、ひとつは、長浜と彦根は「市」であり、安土は「町」だ。
 予算の規模や、町おこしのチカラ(地元経済力)の多寡が違うのだろう。

 次に、安土城と観音寺城は山上にあったので、条件的に、再建しにくいということもあるだろう。

 さらに、織田氏と六角氏は「敗者」だから。
 豊臣家も「敗者」だが、一定期間は政権を保った。
 井伊家は江戸時代をつうじて長期間、同地に君臨したし、その後も、同家から市長が出たりと、影響力も続いていたようだ。

■人々の支持を得たかどうか

 そして、最も大きな違いは、ものすごくザックリ言うと、
「地元の人々の支持を得たかどうか」
「自分ひとりの名声ではなく、地元の人々や、この国のことを真剣に考えていたか」
ではないか、と思った。

 信長は、自分の権力拡大と支配権の膨張のみを追求していた。(ように、私には見える)

 観音寺城の最後の城主、六角義賢(承禎)・義治は、信長との戦さで敗色が濃くなると、とっとと城から逃げ出してしまい、二度と戻ることはなかった。(と、私が見た資料には書いてあった)

 一方、秀吉は、長浜城の築城・入府に際して、城下の一定区画内の居住者・商家は免税とした。
 もちろん、城下を活性化することを目的として、近隣の町から商家や住民を誘致するために行なった施策ではあったのだが。
 その免税措置は、徳川期になってからも続いたそうだ。
 地元では、(徳川政権に憚って)『豊(みのり)神社』と名づけた神社を建立し、秀吉を祀ったという。

 そして、井伊直弼も。
 幕末、開国に踏み切ったことは、独断的ではあったのだが、そこには一片の私情もなかった。(ようだ)

■国盗りの衝動に(?)かられる眺め

 ただ、信長や六角氏を、現代の価値観で判断して、
「イヤなヤツだ」
と思うべきではないことくらい、私にも解る。(笑)

 当時はまあ、そういう時代だったし。

 それと、安土城址と観音寺城址、つまり山頂からの眺めで、信長たちの気持ちが解った。

 あのあたりは、琵琶湖と、その周辺に小さい湖がいくつかあり、平野が広がっている。川もあり、気候が良くて、田んぼが広がる豊かな土地だ。そして、そのところどころに、ポコッ、ポコッ、と、山がある。

 ようするに、豊かな土地で、山・川・湖などで区切られているので、豪族→戦国大名が興りやすく、かつ「陣地取り」(戦さ)に適した土地柄なのだ。

 そして、眺望がひらけていて、土地も、湖も、さらに向こうの山並みまで、どこまでも見渡せる。なので、
「もっと、遠くまで行って、その土地も盗りたい」
という衝動に、かられてしまうのは、解る気がした。

 遠い空に、雲間から、カーテンのように陽光が射しているのを見ると、
「唐・天竺か、さらに向こうのヨーロッパの、神や仏の見る景色か」
と思うだろう。というか、私は思った。(笑)

 信長が、安土城のうちの1層を八角形にして八方に向いた形にしたのも、内装に、中国やインドやヨーロッパをイメージした絵を描かせたのも、解る気がした。

■井伊直弼の再評価について

 むかし、都内の電車の中吊りで、井伊直弼のことを、
「開国の父」
と書いてあるのを見て、「はぁ!?」と思ったことがある。
 長州者(山口県出身)の私に言わせると、
「そりゃあ、なんぼなんでも言いすぎじゃろう」
ということになる。(笑)

「畏れ多くも勅許を得ずに、独断で開国を行なった、逆賊。しかも、安政の大獄で、わしらが吉田松陰先生を、死に至らしめた、にっくき仇」
というのは冗談だが、わりと最近まで、井伊直弼って、一般的に、そういうイメージだったと思う。

 最近、この10年ほどか、少し評価が変わってきたようだ。
 というか、幕末当時の幕閣・幕臣・佐幕派の人物の評価が変わってきたようだ。
 従来の評価では、
「無能者ぞろいで、黒船の恫喝におろおろして、なすすべを知らず、外国人の言いなりになって開国した」
「もう傾いている徳川の屋台骨を必死で支えた、時代を見る目がなかった連中」
と言われていた。

 しかし、最近は、
「いや、意外と有能な人物もいて、当時の国情でできる最大限の範囲内で、外国人との交渉を粘り強く行なったのだ」
といった評価がなされるようになった。

 研究が進んで、新しい史料が出現したり、あるいは、時代の流れ(明治〜戦前の勝者(薩長)史観がなくなってきた)もあるためだろう。

 私も今回、彦根城博物館と開国記念館を見て、井伊直弼という人物への認識を、新たにした。

 ただ、やはり、長州者の私としては、思ってしまう。

 直弼が「不遇の青年時代を過ごした」という『埋木舎』は、かなり立派なお屋敷だった。
 山口県萩市に残って(再現されて)いる、松陰先生の『松下村塾』は、もっと小さくてボロボロの陋屋だ。
 立場が違うとはいえ、当時の国内情勢ゆえとはいえ、必要であった政治判断とはいえ、やはり、
「松陰先生を、死なせる必要があったのか…?」
と、どうしても、思ってしまうのだ。

■もののふどもが…

 しかし、その直弼も、その施策ゆえに、尊攘派のテロリズムに斃れる。

 唐・天竺・ヨーロッパまで、と夢を肥大させた信長も、本能寺で灰になった。
 一代で天下人まで成り上がった秀吉も、豊臣家は、息子の代で、ツブれてしまった。

 私は、ひと気のない城址で、夏草が、さわさわと風に吹かれるさまを見ながら、兵(つはもの)ならぬ、
「武士(もののふ)どもが、夢のあと」
と思ったのだった。
posted by 田北知見 at 17:50 | 東京 ?? | Comment(1) | TrackBack(0) | 〜について思ったこと

2007年06月28日

「出生率向上の条件」について。

 きょう28日付の日経朝刊『経済教室』欄に、経済学博士の丸尾直美・尚美学園大学 客員教授の、出生率回復についての寄稿が掲載されていた。

 同稿によると、出生率を回復するための施策・条件として、
1. 保育、児童手当などの家族政策
2. 女性就業が一般化する男女共働社会
3. 経済の活性化と雇用改善
――の3点が挙げられている。

 私が瞠目したのは、このうちの2点目だ。
 その項目に関連して、次のようなことが書かれている。

「政治社会学者のエスピアンデルセンが『保守的福祉資本主義国家』と呼ぶような、ドイツ、イタリア、スペイン、日本、韓国などは、概して出生率が低い」
「そうした国では、職場の男女処遇格差が大きく、管理職に女性が特に少なく、家庭での男性の家事・保育従事時間が異常に短い場合が多い」
「男女間の伝統的役割を区別する傾向も残り、働く女性は家庭と職場での二重労働負担が大きい」

 日経新聞で、しかも一定以上の年代の(丸尾氏は1932年生まれ)男性識者で、こんな指摘をする人がいるなんて、驚いた。

 日経なんかに出るような男性識者(とくに一定以上の年代の男性)は、女性が家事や育児をすることは大前提であり、自分自身が家事や育児で苦労したことがなく、生活者としての実感がないまま、また、女性が出産・育児を忌避する理由や、女性たちは自分たちと同じ人間であり、同じように仕事をしたいと思っている、といったことに全く慮外なまま、経済理論や数字や理屈だけで、「こうすればよい」「ああすべきだ」と、ご高説をタレるものだ。と思っていたので。(笑)

 ふだんの日経の記事や寄稿からは、
「労働人口は減るし、好景気で人手不足なので、女性には働いてほしい」
「とはいっても、派遣やパートの安い賃金で。そして、補助業務で」
「女性が家事や育児を行なうのは大前提。そのうえで、仕事と両立できるようにね」
という雰囲気が、いつも紙面からにじみ出ているので。(笑)

 私はいつも、少子化対策の話題が出ると、冗談めかして(←めかして、ということは、実はマジってことっすか?(笑))、
「家事や育児を配偶者どうしで半々に分担すること、って法律で決めれば、出生率2くらい、すぐ行くんじゃない?」
と言っているので。(笑)
posted by 田北知見 at 16:35 | 東京 ???? | Comment(0) | TrackBack(2) | 〜について思ったこと

2007年06月14日

アフリカ・中東地域の「悪習」について。




 アフリカ・中東地域の、女性の性器切除の「悪習」については、私もいくつか、恐ろしい本を読んだことがある。
 途中で、気分が悪くなって、しばらく読み進めなかったりした。

 私はこの「悪習」について知った時、まず最初に、
「こんな酷いことがあるのか、それもふつうに」
と驚いた。
 次に、その「悪習」がなくならない理由は、おもに男性の都合と、女性の無知ゆえだと知り、怒りを覚えた。
posted by 田北知見 at 16:02 | 東京 ???? | Comment(0) | TrackBack(0) | 〜について思ったこと

2007年06月04日

『天安門事件』について

 17年前のきょう、中国・北京で『天安門事件』が起きた。

■天安門事件の起きた年、私は

 事件の起きた1989年、私は日本の福岡で、のんびりと大学生をやっていた。

 天安門事件の報道に接し、
「同じ大学生なのに、ずいぶん違うなあ」
と、彼我の置かれた環境(もちろん、こちらのほうが断然ヌルい)や、志の違いを感じ(もちろん、彼らの志のほうが、断然立派)、
「そういえば、私が生まれたころに、日本でも学生運動が盛んだった。中国はいま、そういう時期を迎えているんだな」
と思った憶えがある。

 ただ、その年、私は3年生で、学内スポーツ紙の編集長をしていた。
 コラムに、
「中国は、日本なんかとは比べ物にならないくらい、長い歴史と深い文明がある」
「いまは一時的に、歴史に逆行しているように見える。が、あの国は、これからも前進すると信じたい」
という内容のことを書いたと記憶している。

■民主化を求めて轢き殺された学生たちの

 その約2年後、1991年3月、私の大学卒業旅行は、中国だった。
 男子3人、女子2人の、同級生5人で、10日ほどかけて、上海、西安、成都、桂林などを周った。

 北京は、飛行機の乗り継ぎの関係で、立ち寄っただけだ。
 待ち時間が数時間あり、本当は空港でおとなしく待っていなければいけないのだが、私たちは、どうしても天安門広場が見たいと、現地人のガイドさんと運転手さんに頼みこんで、バンを飛ばしてもらった。

 広場は、もう、事件の痕跡はあとかたもなかった。
 現地の人がいっぱいバラバラに歩いていて、兵隊の姿もちらほら見えた。ただ、当時の中国では、兵隊姿の人は、普段から、あちこちふつうに歩いていた。

 同行の友人が、
「うわ、これ、血じゃねぇ?」
と、地面を指さした。地面に赤黒い跡がところどころあった。
 それが、民主化を求めて、戦車に轢き殺された学生たちの、血の跡かどうかは、分からなかった。


posted by 田北知見 at 17:48 | 東京 ???? | Comment(1) | TrackBack(0) | 〜について思ったこと

2007年05月24日

明日があるさ(?)

 さっき缶コーヒーを買いに、会社を出て、外の自販機のところに行った。

 ガラスのドアに、自分の姿が映っていて、結構デブだった。(イヤ、以前から認識してはいたのだがw)

「かなりやばい。甘い缶コーヒーを飲んでいる場合じゃない」
と思ったのは一瞬で、
「まいっか。甘いものを控える(←あくまで、やめるのではなくて、控える、というところがまた…(笑))のは、明日からにしよう」
と決めた。

 昔、「明日がある、明日がある、あし〜たが あ〜る〜さあ〜」という歌が流行ったなあ、とか、関係ないことを思って逃避してみたり。

 だから肥ってるんだよ。
 やせれる人は「今日からやめる」「今すぐダイエットを始める」とキッパリ言える、意志の強い人なのさ。
 と思ったりした(笑)。


(下の映像は、上記の本文とは関係ありません。好きなマンガの映像があったので、つけてみました)←ヌルくてすみません・・・。


posted by 田北知見 at 16:11 | 東京 ???? | Comment(1) | TrackBack(0) | 〜について思ったこと

2007年05月23日

先住民の悲しみ




 何年か前、シドニーへ旅行した時。
 ツアーだったが、自由時間に、『オーストラリア博物館』に1人で行った。
 印象に残っているのは、「石」の展示室や、「生物」の展示室。ものすごい種類の石や生き物(剥製)が展示してあって、
「やはりオーストラリアって、広いんだなあ」
と、実感した。

 アボリジニ文化の展示室もあった。
 ひとつ印象に残っているのは、現代アボリジニアン・アートのコーナーで見た、1枚の絵画だ。

 アボリジニ女性画家の作品だったと思う。
「アボリジニの女性たちは、社会では人種差別を受け、家の中では夫に虐げられている」
ということを、表した絵だった。

 私は、「気の毒に」と思い、そして、
「同じだよ。世界中の多くの女性が、そうなんだよ」
と共感を覚えた。

■安息できる場所がないのは、つらいだろうなあ・・・

 AFPの映像にある先住民の問題は、オーストラリアだけでなく、南北アメリカでも、太平洋の島々でも、どこでもあるだろう。

 北米での、イヌイットやアメリカインディアンが遭遇した、悲惨な歴史や「居留地」などの現状を読む(聞く・見る)につけ、同じ人種の人間として、悲しみと憤りを感じる。

 ハワイやサイパンに行った時、ハワイアン系やチャモロ系の人を見て、私は思った。
「政治・軍事的にはアメリカ、経済的には日本に占領され、我が物顔に振る舞われている。『ここはもともと、私たちの場所なのに』と不満を持たないのだろうか」

 私自身、アメリカやヨーロッパへ旅行に行って、
「これって、絶対、人種差別に基づく、いやがらせ」
と思う目に、たまに遭う。
 でも、日本に帰っちゃえば、少なくとも、人種に基づく差別を受けることはない。
 一方、彼らには、帰って一息つける場所はない。っていうか、もともと彼らにとって安息できるべき場所に、ヨソから人が入ってきて、しかもエバってるのだ。
 つらいだろうな、と思う。

 また、中米のある小国では、いまはインディオがほとんどいないという。なぜかというと、1500年代にスペイン人が侵入した時に、病気(風邪か何かだったと思う)を持って来たので、免疫のないインディオはほとんど病死してしまったのだそうだ。
 いろんなカタチの暴力(侵略)があるんだなあ、と思った。
posted by 田北知見 at 15:45 | 東京 ???? | Comment(0) | TrackBack(0) | 〜について思ったこと

2007年04月27日

日経の動物ネタ。

 4月27日付け日経朝刊の社会面『窓』のコーナーで、「クジャクが捕獲された」という記事が載っていた。
 記事の一部を下記に引用する。

 26日正午ごろ、群馬県みなかみ町上津の無職男性(69)が、自宅の家庭菜園でクジャクが野菜をついばんでいるのを発見、網で捕獲して沼田署に通報した。
 同署は…(中略)…遺失物として本来の飼い主を捜している。
 男性は24日にも菜園でクジャクを見掛けていた。同署は「珍しい落し物。早く持ち主を見つけたい」と話している。

 これを読んで、ふっ、と笑ってしまったのは、私だけではあるまい。
 男性が、
「よおし、きょうは菜園の手入れでも…」
と思って菜園に行ったら、クジャクが野菜をついばんでいた。驚く男性。
 想像すると、かなり可笑しい。

■日経の動物ネタ

 時々、日経、とくに夕刊に、「動物ネタ」記事が載る。私はひそかに楽しみにしている。

 以前、あったのが、「ヤシガニ」事件。(以下、記憶によるものなので、記憶違いがあるかもしれない。その場合は、すみません)

 関東地方にある工務店の庭で、男性がヤシガニを発見した、という記事だった。
 ヤシガニはふつう、南洋方面にしか生息していない。
 調べてみると、近所に住む別の男性が飼っていたことが判明した。男性の父親が、西表島かどこかに旅行した際に、連れて帰って、お土産として男性に渡したという。(とくに法には触れないらしい)
 飼っていた男性は「ある日、仕事から帰ったら姿が見えなかったので、心配していた。見つかって良かった」と話していた。

 これも、想像すると、かなり楽しい。
 庭でカサカサ音がするので、
「……?」
と思って見ると、ヤシガニが。
 ビックリしただろうなあ、とか思うと、すごく可笑しい。
 飼っていた男性も、まるで家族の一員のような言い方をしている。ほのぼのしてて、いいですね。

■もういっちょ、日経の動物ネタ

 別の日の、ほかの記事では「野鳥のタマゴ」事件を読んだことがある。(これも、記憶違いがあったら、すみません)

 どこかの公園に、野鳥が巣をつくって棲みついている。
 近所に住む、中国残留日本人孤児で、日本に住むようになった、60代の独り暮らしの男性が、巣から、タマゴを取って、ユデタマゴにして食べた、という記事だった。

 その野鳥が、保護の対象となる種だったため、近所の人が通報して、騒ぎになってしまった。
 男性は、そうとは知らなかったうえに、記事によると、「中国では、野鳥のタマゴを食べる風習がある」のだそうだ。
 知らなかったということで、「厳重注意」で済み、事なきを得たのだが、その男性は、
「タマゴがあったので、バケツに入れて持って帰り、茹でて食べた。あまりおいしくなかった」
と証言したそうだ。

 これも、光景を想像すると、かなりかわいい。
 男性が、
「おっ、タマゴがあるぞ」
と、バケツにタマゴをたくさん入れて持って帰り、ナベで茹でる。
 パクリと一口食べて、
「あんまり、おいしくないな……」
と、つぶやく男性。
 なんか、ほのぼのと、可笑しい。
posted by 田北知見 at 18:27 | 東京 ???? | Comment(1) | TrackBack(0) | 〜について思ったこと

2007年04月19日

長崎市長・伊藤一長氏の死を悼んで

 海外で、核兵器の実験等が行なわれるたびに、長崎市長名と広島市長名で、抗議と遺憾の声明を、必ず出す。
 この両市の市長は、毎年8月の、現地での平和祈念式典等以外にも、国際的な核廃絶活動や平和運動に、積極的に参加している。

 私がそういうことを知ったのは、ほんの数年前、広島市の『平和記念資料館』へ行った時だった。(同資料館には、それまでも、何度か行ったことがあったのだが。)

 資料館では、原爆や戦争の悲惨さを伝えるとともに、
「なぜ、こんなことになってしまったのか」
「二度と同じ過ちを繰り返さないためには、どうしたら良いのか」
「いま、核兵器廃絶や、世界の平和のために何ができるか」
「未来の平和のために、われわれに何ができるか」
といったことを、考えさせる内容となっている。

 国内外で時々見かける、「われわれは、こんなに酷い目に遭ったのだ」とアピールするだけのミュージアムとは、ちょっと違う。
 日本が、世界に誇れることのひとつだと思った。

 長崎市の『長崎原爆資料館』へは、最後に行ってから30年くらい経っているので、現在はどうなのか、よくは知らないが、同様の内容だと思う。

 核兵器も、銃も、いや、どんな兵器も武器も、ないほうが良いに決まってる。

 選挙後、次の市長には、どなたがなるのか分からないが、どうか、平和運動の灯を消さぬことを、伊藤市長の冥福とともに祈っている。
posted by 田北知見 at 17:51 | 東京 ???? | Comment(0) | TrackBack(0) | 〜について思ったこと