2008年12月24日

ちっちゃいナショナリズム?いやいやいや・・・

 私は化粧品の一部で、外資系のものを使っている。
 購入すると、箱のなかには、商品と一緒に小さな説明書が入っている。経費節減のためか、世界中のどこにでも、どういうルートで(デパート、免税店、ネット通販などなど)出しても良いようにか、説明書には、同じ内容が数カ国語で書かれている。

 最初はフランス語。フランス系のブランドなのでこれは当然だ。
 次に英語が書かれている。世界の共通語(?)なので仕方ない。
 それ以降には、ヨーロッパのいくつかの言語が並ぶ。たぶん、イタリア語、スペイン語、ポルトガル語、オランダ語、等々…。欧州言語の最後にロシア語が入る。
 その後ろにアジアの言語が並ぶ。
 まず、アラビア語。これはヨーロッパとの地理的、歴史的な近さからして仕方ない。
 その次に日本語。日本はやはりアジアの代表的な存在であり、現在のところ、最も大きなマーケットなのだろう。(と、鼻息荒く思うw)
 あとは、中国語(台湾の画数の多い漢字)、中国語(本土の簡体字)、ハングルと続く。

 しかし商品によってはたまに、アジア言語の先頭に中国語が書かれている場合があって、そんな時はちょっとくやしい。われながら、ちっちゃいことに、こだわりすぎ。と思うのだが…。(笑)

■アフリカ各国でも、中国人が

 「中国の台頭」が言われて久しいが、しかし笑い事ではないらしい。
と思ったのは、きのう、松本仁一 著『アフリカ・レポート 〜壊れる国、生きる人々』を読んだからだ。
 この本の主旨は、アフリカのいくつかの国々の、ひどい政治・経済状況と、そのなかで懸命に生きる人々のルポだ。(それについては後日、言及したい。)

 私が気になったのは、中国人が大挙してアフリカ各国に押し寄せ、収奪していくさまだ。

 たとえば、マカダミアナッツや海産物を、札ビラを切って買い占める、あるいはマフィアを通じて密輸する。
(例:日本人社長の現地企業が現地農家と協力し、数年、数十年かけて育て上げたナッツの木々から、実を叩き落として買い取っていく)

 たとえば、国際協力と銘打った、自国の利益のみを追求した公共事業。
(例:産油国に油井や石油基地をつくるのだが、資材や建機などはすべて中国から持ち込み、技術者・建設労働者はすべて中国人。建設中は仮設住宅街をつくって住み、そのなかで流通する食品や日用品もすべて中国製品。現地には1ドルもお金は落ちず、つまり現地の国民には何のメリットもなく、そして利権だけは中国と現地の政府高官がガッツリ取る)

■日本の取り組みは

 こういう状況を読むにつけ、たとえばJICA(国際協力機構)海外青年協力隊の地道な活動や、住友化学日立建機などの技術供与や事業活動が、とても美しく見える
(中東旅行の時、移動中に車窓から「あれがJICAの事務所ですよ」と教えられて、日本人の一人として誇らしく思ったものだ)
(イヤ、私自身は、何もしてないのですが…)(汗)

 きょう24日付けの日経朝刊等で
「途上国ビジネスを支援」
と報じられた。
 記事によると、財務省が特例措置として、国際協力銀行(日本政策金融公庫の国際部門)を通じ、日本の輸出企業や、途上国に進出している日本の大企業向けの融資を2009年度末まで認める。
 世界的な金融危機の影響で、日本企業による途上国関連の事業が滞ることを防ぐ狙いがあるそうだ。

 こうした、正当で地道な施策が、日本と途上国各国の、経済発展と関係強化につながればいいのだが。


posted by 田北知見 at 15:54 | 東京 ☀ | Comment(1) | TrackBack(0) | 〜について思ったこと

2008年10月22日

秋になると、なぜか「和」の気分。

 先日、会社でお土産の栗まんじゅうをいただいた。
 ちゃんと栗の味がして、とてもおいしかった。
 秋だなあ。

 以前もちょっと書いたが、秋になると、なんとなく「和」の物が恋しくなる。
 藤沢周平の小説、和菓子、桔梗などの日本的な花、日本酒。…は、年中飲んでるか…。(笑)
 サシミ、芋や蛸の煮付け、菊花を散らしたおひたしなどで、冷え冷えの日本酒をキュッと。うーむ、たまらん。

 先日は、東京・深川にある『深川江戸資料館』に行った。
 江戸の町並みが、映画のセットのように再現してあって、畳の上に上がれる。
 いくつかある長屋の家のうち、私は、常磐津の師匠で、女性一人暮らしのキャリアウーマン(と、勝手に想像)、お志津さんちが好きだ。
 同資料館、好きなので、何度か行っているのだが、行くたびに、ちょっとずつ道具類が増えていたり、説明員さんが充実していたり、季節の展示があったりと、マイナーチェンジしており、そういう、資料館の姿勢がまた好きだ。
 今回は、お志津さんちに、子猫(といってもつくりもの)が増えていた。かわいい。
posted by 田北知見 at 16:09 | 東京 🌁 | Comment(0) | TrackBack(0) | 〜について思ったこと

2008年08月15日

自分の命であがなうのは、



 終戦記念日によせて。
 10年以上、ずっと考え続けて、答えの出ない疑問がある。

 63年前の敗戦に際し、何人かの軍人が、
「責任を取って」
自決しようとした。あるいは実際に自決した。

 この行為の、是非である。
「人にとって、最も大切な命を擲つということは、最大の『責任の取り方』だ」
と考えるべきなのか。
 あるいは、
「とっとと死んでしまうのは、卑怯だ。何が何でも生き抜いて、現世できちんと責任を取るべきだ」(たとえば裁判とかをきちんと受けて刑死するなど)
と考えるべきなのか。

 私が彼らの立場なら、後者の選択をするだろう。
 死は、「逃げ」だという認識がある。
 踏みとどまって、刑、嘲笑、罵倒など、全てを身に受けることが、「責任」だと思うからだ。

■刑死した東条英機の場合

 太平洋戦争開戦時の首相だった東条英機 陸軍大将が、敗戦直前の1945年8月10〜14日に書き残した手記が、発見されたと先日、話題になった。

 その手記には、彼自身や軍部の認識の甘さなどを棚に上げ、敗戦は、政治指導者や国民が弱腰だからだ、といった、責任逃れの言葉が並んでいるそうだ。
 しかし一方で、
「事ここに至りたる道徳上の責任は、死をもっておわび申上ぐる」
という一文もあるようだ。

 実際に、東条は同年9月、自殺未遂を起こしている。

■自決した大西滝治郎の場合

 実際に自決した大物軍人としては、「特攻の生みの親」として知られる、大西滝治郎 海軍中将が有名だろう。

 大西中将の「遺言」(抜粋)には、
「特攻隊の英霊に曰す。善く戦いたり、深謝す」
「吾れ死を以って旧部下の英霊とその遺族に謝さんとす」
「隠忍するとも日本人たるの矜持を失う勿れ」
と書かれている。

「深謝」は、「感謝」と「お詫び」の両方の意味がある。
 私はこの「遺言」を、10数年前に初めて読んだ時、「どっちだろう…?」と訝しんだのだった。
 「感謝」なら、「特攻は間違いではなかった」。ただ、「部下をねぎらう」という気持ちだ。
 「お詫び」なら、特攻などという、非人間的な行ないを多くの若者に強要した罪を、自覚していたということになる。

 いまだに、自問の答えは出ない。
posted by 田北知見 at 17:07 | 東京 ☁ | Comment(1) | TrackBack(0) | 〜について思ったこと

2008年08月12日

降幡賢一・元 朝日新聞記者の講演 『日航ジャンボ機墜落とチーム取材』を聴講した

 過日、元 朝日新聞編集委員 降幡賢一氏の講演『日航ジャンボ機墜落とチーム取材』を聴講した。
(先日、映画『クライマーズ・ハイ』を観たこともあり、この事故と関連報道のことは、気になっていたのだ)

 1985年8月12日、羽田発大阪行きの日航ジャンボ機が群馬県の御巣鷹山に墜落し、乗客乗員520人が亡くなった事故について、当時の朝日新聞社がどう報道したか、等に関する講演である。

 講演概要は以下のとおり。(文責・田北)

■ 降幡氏の講演
 『日航ジャンボ機墜落とチーム取材』概要


〈事故発生〉

 朝日新聞社では、時事通信の速報を12日19:13にファックス受信した。機影が消えて20分も経っていない頃である。
 社内では
「すわ、墜落か」
と緊張が走り、騒然となった。
 満席のジャンボ機。528人が乗っている。

〈スクランブル体制〉

 出稿の〆切時間は何段階かあり、19時は一番早い版の〆切時間だ。
 その出稿が終わり、記者たちは食事に出たり、宿直記者と交代する時間帯だった。
 が、緊急体制ということで、盆休み中の記者も含めて呼び出しがかかった。
 私(降幡氏)は当時、社会部の記者だったが、ビールを飲みに出ようとしていたところを、部長に呼び止められた。

 現場へ向かう記者が指名された。

 また、社会部記者だけでなく、運輸省(当時)や防衛庁(同)など、関係官庁の担当記者や、官邸担当の政治部記者、地方支局を統括する通信部(現 地域報道部)、経済部・学芸部・運動部などもそれぞれ、関連情報をチェックする。

 整理部や校閲部、社説や天声人語を書く担当者も緊急体制となった。
 また、広告局や販売局等とも連絡を取る。場合によっては広告を外す交渉をクライアントと行なったり、新聞の店着遅れも想定されるためだ。

 現場派遣記者のクルマの手配をする運輸局や、現場から電送無線で写真を送れるように電送無線車の手配をする制作局、現場へ出る記者の経費や装備などを手配する編集庶務(現 サポート部)なども動く。

 系列の放送局と連絡を取ったり、海外メディアの提携先へ配信記事を送る外信部なども対応を取った。

〈現場の特定に手間取る〉

 しかし墜落現場が判らない。
 朝日新聞の初稿見出しは
「碓氷峠に墜落か」
というものだった。
 自衛隊 百里基地から飛んだ偵察機が、事故トラックの炎上を誤認してしまったためだ。

 さらに、横田基地からの偵察機が、長野県の佐久方面へ飛んだという情報もあった。ほか、目撃情報もあった。
 自衛隊と日航の正式発表も、当初は「長野山中」だった。
 そのため、13日付け朝刊9版の見出しは
「長野山中で炎上」
となっている。

 朝日新聞は21:06、ジェットヘリ『ちよどり』号に、写真部記者を乗せて飛ばした。

 22:00ごろ、本社に報告があった。
 長野・群馬・埼玉3県境の三国峠〜群馬県の御巣鷹山あたりで燃えているのを確認したという。
 社内では、どう表記・掲載するか議論となった。
 まず、暗いうえに地面に県境の線が引いているわけではないため、何県と表記すべきか明らかではない。
 さらに、燃えている地点は確かに確認できたが、墜落地点とは別かもしれない。

 そのため、見出しは、11版では
「群馬県山中で炎上」
最終14版では
「長野・群馬県境で炎上」
となっている。
 その際、掲載された写真が、各社報道のなかで最も現場に近い写真となった。

〈現場派遣〉

 現場派遣記者は、朝日新聞社の場合、東京からと名古屋からで、約100人だった。
 つまり、他社の記者も合わせると、数百人が山の中へ入ったわけだ。
 が、上記のとおり、当初は墜落現場が判らなかった。

 結局、明け方近くになってから、墜落現場は御巣鷹山と特定された。
 当社の場合、現場へたどり着き、生存者救出の現場に居合わせた記者は、2人だけだった。
 無線機はバッテリーが切れかかっていたため、第一報はかなり短い原稿となった。

〈生存者救出――新聞とテレビの速報性〉

 13日11:00前、生存者4人を確認。
 消防・県警などが救出し、生存者をヘリコプターで吊り上げて、病院へ緊急搬送した。

 その場を取材できたのは、上記2人のほか、数社の記者数人が居合わせた。
 朝日新聞の場合は、写真を撮影してフィルムをヘリで本社へ送り、社内で焼き付けた。
 その送りと焼き付けに時間がかかり、降版に一部、間に合わなかった。

 一方、フジテレビは機材を山中へ持ち込み、生存者救出・搬送を生中継した。
 新聞は、最大限、努力して、ようやく翌朝の朝刊に間に合った。
 画像報道、あるいは速報性という面で、新聞がテレビや(後のネットに)負け始めた瞬間だった。

〈過熱報道について〉

 また、当時は「報道」のあり方を問い直された時期でもあった。
 ロス疑惑豊田商事事件と、スクランブル(集団過熱)取材への批判が高まっていた頃だ。

 日航機事故についても、遺族への過熱取材や、乗客名簿や乗客のプライバシーにかかわる内容が掲載・報道されたことなどで、新聞・テレビはかなりの批判を受けた。

 以降、犯罪被害者の人権への考慮や、日本新聞協会では「スクランブル取材はしない」という協定を結ぶ、必要なら代表取材とするなど、業界内の取り決めがなされている。

〈報道にかける情熱〉

「何が起きているか、知りたい」
「言いたいことがある人がいるなら、聞いてあげたい」
「そしてそれを(たとえば、話してくれた遺族の話を)伝えたい」
というのは、記者の本質だと思う。

 現場を見たい。全感覚をもって、その場で起きていることを見て、聞いて、感じて、伝えたい。
 それが記者のサガであるし、使命だと思っている。

 「記者がサラリーマン化した」、「ネットや記者クラブの発表で情報を集めている」と言われる今でも、その本質は変わっていないと思う。

■聴講後、私(田北)の感想

 最後の、
「現場に行きたい。そこで起きていることを全感覚で見て感じ、それを伝えたい」
というのは、(レベルは全然違うけど)私も解る。

 講演後の質疑で、事故遺族関係者から
「でもやはり、あの時の報道はやり過ぎだった。私はとても傷ついた」
「もう少し早く、自衛隊や消防団が動いてくれれば、生存者はもっといたのではないか」
という意見が出た。

 第三者の私としては、
「現実的には、無理だったんだから…」(社会的な環境や、二次遭難の恐れもあった)
と思うが、でもやはり、遺族や関係者としては、
「もう少し、どうにかなったのではないか」
と、どうしても思ってしまうのだろう。それも解る。

 今年で23年。
 例年の慰霊登山をはじめ、今年は同事故の遺品展示が、11日から、東京・大田区の日本航空 安全啓発センターで始まった。
 真実の事故原因について、再調査を望む声が今もあるそうだ。
 関係者にとっては、まだ、終わってはいないのだ。
posted by 田北知見 at 17:05 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 〜について思ったこと

2008年07月25日

がんばれ岩手。だけじゃなくて、宮城も青森も。




 きのう岩手について書いた後、思い出したのだが、気仙沼市は宮城県だった。(笑)

 もうひとつ思い出したのは、以前にも、岩手旅行ネタを書いたのだった。

 というわけで、
「がんばれ岩手!」
だけじゃなくて、宮城と、今回被災が重かったらしい青森にも、エールを送る。
 復興、応援してます。
posted by 田北知見 at 17:52 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 〜について思ったこと

2008年07月24日

岩手、大丈夫だろうか。

 24日未明、岩手県北部を中心として、最大震度6強の地震があった。

 19〜21日の3連休に、岩手県へ旅行したので、折を見て、その時の感想でも書こうと思っていたのだが…。
 一関市に泊まって、平泉猊鼻渓厳美渓気仙沼などを観光したのだった。

 一関も気仙沼も、被害があったようだが、『あさひ鮨』さん、大丈夫だっただろうか。
(あさひ鮨は、気仙沼に本店、一関と宮城県仙台に支店がある、地元では有名な鮨屋さん。旅行中2日目に気仙沼本店へ行ったらとても気に入ったので、3日目には一関支店へ行った。フカヒレ、ぶどうエビ、前沢牛などのネタが特徴らしい。すごくおいしい。)

 猊鼻渓では、「舟くだり」を楽しんだ。
 追分(民謡)を謡ってくれた船頭さん、大丈夫だっただろうか。

 平泉では、中尊寺毛越寺無量光院跡柳之御所遺跡達谷窟毘沙門堂などを見た。
 中尊寺の金色堂は、大丈夫だっただろうか。

 今回初めて知ったのだが、金色堂や、それに近いものは、毛越寺や無量光院などにもあったらしい。
 が、あとかたもなくなっている。毛越寺や無量光院は、礎石などが残っているだけだ。
 つまり、中尊寺金色堂を、900年近い時を経て、現在、私たちが見られるのは、奇跡的なことなのだ。
 世界遺産の指定は逃したけれど、貴重な文化遺産には違いないのだと思った。

 JR平泉駅のピロティ天井に巣をつくっていたツバメたちは、大丈夫だっただろうか。
(ふつうはフン害が大変だというので、巣を壊したりするらしいが、その駅では、いくつかの巣がそのままになっていた。
 フンで床が汚れないように、わざわざ厚紙を敷いたり、「フンにご注意ください」みたいな貼り紙までしてあった。
 なんだかほのぼのした気分になりながら、親ツバメがスイーッと飛んでエサを運んできたり、ヒナがチュイチュイ鳴くのを、ボーッと眺めていたのだった。)

 気仙沼では、港にズラリと船が並んで停泊していた。
 てっきり、原油高による休漁だと思っていたら、地元の人の話では、
「売られるのを待っている船」
ということだった。
 休漁どころか、廃業が相次いでいるのだ。
「日本の水産業・サカナ食文化はどうなるんだろうか」
と、あらためて心配になった。

 それぞれの観光地や町なかの施設、お店などでは、以前の内陸地震で被害に遭わず、通常どおりの営業をしている場所でさえ、だいぶ、旅行キャンセルが出たそうだ。
 地元の人たち、とくに観光業従事者は、
「風評被害に近いものがある」
と異口同音に言っていた。

 今度は、大丈夫だろうか。
posted by 田北知見 at 16:57 | 東京 ☁ | Comment(1) | TrackBack(0) | 〜について思ったこと

2008年07月18日

誕生日。

 きょうは私の誕生日。
 あ、なんか↑そういう歌、あったなあ。

 なんということだ。40歳になってしまった。
 40歳…よんじゅっさい…重た〜い響きだ。うわ、今、肩にドスッと来た、まじで。

 40歳以上の皆様、40歳になった時、どんな風に思いましたか?
「俺もオトナになったなあ」とか?
「ふふ…あたくしも、ようやく不惑ね…」とか?

 私は、
「40歳? えっ、それ誰の年? 私? うそお」
みたいな感じである。まだ全然オトナじゃないっす。
 で、見た目や体力は年相応なところがまたイタイ。

 今の時代、↑こういう感想を持つ人も多いのではないだろうか。
 それとも、デキた人はそんなこと、思わないのだろうか。
posted by 田北知見 at 19:54 | 東京 ☁ | Comment(2) | TrackBack(0) | 〜について思ったこと

2008年03月18日

こんな国、私だったら、イヤだ。




 以前、シリアとヨルダンに行った時、この映像に出てくるような服装をした女性を多く見た。
 美しいなあ、とは思った。
 が、強制されるとなると、また話は違うと思う。

 聞いた話だが、イランでは、外国人観光客も、そういう服装を強制されるらしい。
 また、ちょっと話は違うが、戦時中の日本も似たようなものだったらしい。モンペ以外はダメとか、「パーマネント禁止」とか。

 そんな国はイヤだなあ。

 私が行ったシリア・ヨルダン旅行はツアーだったのだが、自由時間に1人で街を歩いた。
 イラクほど戒律に厳しくない国なので、外国人観光客は、上記の服装は強制されない。
 なので私は、最初は頭に何も着けずに歩いていた。
 けれど、周りの女性が全員、かぶりものをつけていると、また、男性たちからの凶暴な視線(「バチ当たりめ!」)を感じて、思わず、胸元に巻いていたショールを、頭からかぶった。

 イスラム圏では、男性が女性を殺しても、場合によっては罪にならないらしいと聞いたこともあるし。
 そうやって、精神的に、社会的に、女性はジワジワと人格を奪われていくんだなあ、と実感(疑似体験)した。

 そんな国はイヤだ。
posted by 田北知見 at 16:58 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 〜について思ったこと

2008年03月04日

春が来ている・・・

 きのう、会社帰りに道を歩いていたら、どこからともなく、沈丁花の匂いが漂ってきた。

 会社帰りのスーパーで、「桜風味」のマドレーヌを売っていたので、買ってみた。

 スギ花粉がいっぱい飛んでいる。ハックション!

 …春だなあ…。
posted by 田北知見 at 17:58 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 〜について思ったこと

2008年03月03日

「プレミアム」について。

 過日、東洋経済オンラインで『遠藤功のプレミアム戦略』()という記事を読んだ。

 内容を、私なりにかなり乱暴にまとめさせていただくと、
「プレミアムとは、通常のブランディングより遥かに高い位置にある、ぶっちぎりのブランディング」
「切り詰めたコストを積み上げた価格設定ではなく、先に価格を決めて、それに見合う高いレベルのものづくりと、イメージづくりなどの戦略を行なうこと」
「日本の(一部の)ものづくりも、そうあるべきだ。でないと、欧米先進国のような高付加価値のものに追いつかず、新興国には追い抜かれて負ける」
ということらしい。

■工業化に、ちょっと先んじただけ?

 これを読んで、私は、
「しかし、日本のものづくりで、そんなことができるのかなあ…?」
と思った。
(イヤ、「できるできない」ではなく、やらなきゃ勝ち残れない、という話だというのは、解っているのだが)

 欧米のように、歴史や文化その他により、国のイメージじたいに「プレミアム感」が漂うわけではなく。
 それでいて、新興国のような、がむしゃらさは、もうない。
 日本なんてしょせん、他のアジアの国より、ちょっと先に工業国になれただけの国じゃないか。と、ちょっと卑下してみたり。

■ポルシェ、フェラーリ、トヨタ

 たとえば、記事中に、ポルシェの例が出てくる。
 遠藤氏は、ドイツの同社ドライビング・サーキットでの体験を語っている。

 私も国内で、ポルシェに何度か同乗させていただいたことがある。公道なので、もちろん時速300キロなんて出ないのだが、確かに、あの加速感は、車シロートの私ですら、「さすが」と感じた。

 一方で、たとえばトヨタ車に同乗させていただく機会も多い。
 その時の感想は、やはり、「乗っていて疲れない」「ずいぶんいろいろ便利な機能がついてる(車種やオプションにもよるのだろうが)んだなあ」とか、そういう感じだ。
 良い悪いは別として、大げさにいうと、日本車というか、日本のものづくりを象徴している気がする。

 また、以前、村上龍がエッセイに書いていた話を思い出した。
 F1レースのフェラーリ・チームで、エンツォ・フェラーリが存命中のエピソードだ。

 レース中、車両に不具合があり、
「だましだまし、ゆっくり走れば完走はできそうだが、優勝は望めない」
「無理して飛ばせば優勝できそうだが、途中でリタイアする可能性は高い」
という状況になった。
 スタッフ全員が、「どうします?」という感じで、エンツォ・フェラーリを見た。彼はすかさず言った。
「われわれは、イタリア人だろう」
 その瞬間、「後先気にせず、とにかく飛ばせるところまで飛ばそう」と決まったそうだ。

 そのエピソードを紹介したうえで、村上は、要旨、次のようなことを書いている。
「これが『われわれは、日本人だろう』と言ったら、どういう意味になるのだろう。『会議をひらいて慎重に決めよう』か?」

■欧米コンプレックスは過去のものか

 一方で、
「欧米(ブランド)には、かなわない」
という私の価値観は、一定以上の年代の日本人だけが持っているんだろうか。と思うこともある。

 たとえば、先日、若い人(といっても30代前半)と、
「もし何でも買えるとしたら、クルマは何を買うか」
みたいな雑談をしていた。

 その人が、
「俺だったら、レクサス」
と言ったので、私はビックリした。
 私だったら、それくらいのお金を払うなら、ジャガーとかベンツを買うと思う。
 そう言うと、その人は、
「あー、なるほど…」
と言いつつも、淡々と、レクサスの良さ、すごさをいくつか挙げてみせたのだった。

 一定以下の年代の人にとっては、どこの国のものかはあんまり関係なくて、自分にとって良いものは良い、好きなものは好き、ということなんだろうか。
 もしそういうカスタマーが(国を問わず)増えてくるならば、良いものを誠実につくることのできる日本に、勝機(商機?)はあるのかもしれない。と誇らしげに思ってみたり。
posted by 田北知見 at 18:19 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 〜について思ったこと

2008年02月19日

改正建築基準法で思ったこと。

 以前、一時期、よく見ているサイトがあった。
 『2ちゃんねる』とか『ヤフー知恵袋』みたいに、参加者がスレッドを立て、それを見た人がどんどんレスを入れていくサイトだ。

 ある時、建築業界の人がスレッドを立てていた。
「建築基準法の改正で、業界は惨憺たる状況です。
 僕の仕事(会社)も大変苦しいことになっています。
 他の皆さんは、いかがですか?」
という趣旨だった。

 私は、要旨次のようなレスを入れた。

「法改正当初は、どんな業界でも混乱するものです。1〜2年で混乱は収まるでしょう。
 私は仕事で建築・建設・デベロッパー・不動産などの企業さんのお話を聞くことがありますが、短期的には業績が悪化している企業さんが多いです。」

■その1〜2年がもたない

 後日、そのスレッドを見ると、業界関係者からのレスがいくつか、ついていた。
 要旨は、次のようなものだった。

「うちは零細企業なので、その1〜2年がもたないでツブれるかもしれません」
「来年どころか、来月の運転資金がどうなるか…」
「ゼネコンやデベロッパーは様子見で、建たないと仕事のないうちら下請けは地獄です」
「そのうえ、たぶん、その経費増は、下請けや孫請けに転嫁されるでしょう」

■無意識な傲慢への反省

 私はいつも、考え方としては、あるいは書く立場として、
「絶対に、上から目線はしない。
 机上でデータをいじくるようなことはしない。
 地に足の着いた生活者としての視点で見る/書く。
 強者と弱者なら、弱者の立ち位置で。なぜなら私もそっち側だから」
と思っていたのだが、まだまだ無意識に傲慢だったのだろうか、と自分を恥じた。
posted by 田北知見 at 17:14 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 〜について思ったこと

2008年02月01日

ケニア…(T_T)

 ケニアは、アフリカ大陸の国々のなかでも、比較的、政情が安定していて、経済的に進んでいる国というイメージを、シロートながら持っていた。
 首都ナイロビは、大陸でも有数の大都市だと、何かで読んだ憶えがある。
 なぜこんなことに…?(T_T)



posted by 田北知見 at 14:15 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 〜について思ったこと

2008年01月11日

井上雄彦の『リアル』。
ふつうにスポーツ漫画。

 井上雄彦のマンガ『リアル』7巻を読んだ。1巻からずっと、新刊が出るたびに読んでいる。

 一応、車椅子バスケを軸とした、「障碍者もの」なのだが、同時に、若者たちが生きる道を模索している、「青春もの」でもある。
 加えて、今巻では、「スポーツもの」の色が濃かったり。(一世を風靡した『スラムダンク』の作者たる面目躍如)
 車椅子バスケを、特殊な人たちがやる特殊なスポーツではなく、数あるスポーツのひとつとしているわけだ。

■障碍者スレッド

 そこから話は飛ぶが、最近、よく見ているサイトがある。
 そのサイトは、ヤフー知恵袋や2ちゃんねる のように、参加者がスレッドを立てて、他の参加者がそれに対してレスをつけるものだ。(ただし、管理者が「管理」しているので、2ちゃんねる のようにエグくはない)

 そのスレッドのひとつに、障碍者(障碍児)についてのテーマがあった。
 スレッドもレスも匿名でカキコめるので、かなり生々しいホンネが書かれている。

■大学時代、友人に連れられて…

 またまた話は飛ぶが、大学時代、友人に連れられて、障碍児保育園の運動会のお手伝いに行ったことがある。
 友人は教育学部の肢体不自由児課程にいる人だったが、その保育園は肢体不自由児だけでなく、知的障碍とかの子供たちも在籍していた。

 恥ずかしい話だが、最初は、子供たちを直視できなかった。

 まず、やはり見た目や言動が「ふつうの」子供たちとは違う。解っていても、やはり目の当たりにすると衝撃だった。
 それまで、街で、あるいは同じ小学校で(私が行った地元の公立小学校にには、「特殊学級」があった)接したことはあったのだが、そんなに一どきにたくさんの子と一緒にいたことはないので。

 もうひとつの理由は、「どう見たら良いのか、判らなかった」からだ。
 かわいそうと思ってはいけない。
 特殊だと思うべきではない。
(以前、障碍者先進国(?)アメリカ系の雑誌で、車椅子の活動家が「私を気の毒な障害者だと言わないでほしい。多くの人たちと、移動の仕方が違うだけなのだから」という発言を読んだことがある)
 でも、障碍があるのは事実で、その部分のハンディに対しては、フェアに接さなければいけない。
 とか、いろいろ、考えてしまって。

 一緒に行った、別の友人(女子、家事手伝い)は、
「かわいそうな子たちを、親切にお世話をする」
って感じで、やさしく接してたけど。それは私はイヤだと思った。

 あと、私はあれが苦手なのだ。
 障碍者関連の仕事や活動をする人たち(教育学部の友人も、この範疇)や、親たちの、
「障碍があっても、明るく前向きに!」
みたいな、なんか独特の雰囲気が。

■自己欺瞞≠現実

 「やさしく」接するのも、「障碍があっても、…」と事実を直視せず、理想を言い立てるのも、欺瞞…いや、自己欺瞞? なんかそんな気がしていたのだ。(ヒドい言い方ですみません)
 結局、私は、健常の子供たちと同様に、ふつうに接した。とくに問題はなかった。

 それから約20年経った、先日。前述したスレッドとレスを読んで、
「あ、私の感覚は、間違ってなかったんだ」
と思った。
 事実を冷徹に直視して、そのうえで現実的に、事実を受け入れるなり、努力するなり、嫌うなり、逃げるなり、すればいいのだ。
 そこに書かれていた、障碍者のきょうだい/親/身内/友人知人 たちのホンネを読んで、そう思った。

 ところで、今年は北京オリンピックの年だ。もちろん、パラリンピックも開催される。

posted by 田北知見 at 19:59 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(2) | 〜について思ったこと

2007年12月27日

資源は誰のもの?

■アラ石のクウェート・カフジ油田撤退

 今朝の日経報道で、
「元祖 『日の丸 油田』に幕」
「アラビア石油、カフジ撤退」
という記事が出ていた。以下に一部、引用する。

>AOCホールディングス傘下の、石油開発会社であるアラビア石油は、クウェート・カフジ油田の操業から撤退する。来年1月4日に期限切れを迎える、技術者派遣契約の更新交渉が、不調に終わったため。カフジ油田は日本企業にとって、戦後初の自主開発油田だったが、半世紀に及ぶ、元祖「日の丸油田」の役割を終える。

>操業経験を積んだクウェートは、人件費の高い、約50人のアラ石社員を、自国技術者に置き換えたほうが得策と判断、(交渉の)打ち切りを決めたもようだ。

>カネとヒトを出す見返りに資源を得る、従来戦略が、曲がり角に来たことを象徴する。

>原油高で、潤沢なオイルマネーを手にし、資源開発の経験も積んだ産油(諸)国にとり、消費国からカネとヒトを得る魅力は薄れつつある。

>ヒトとカネの流れは双方向になりつつある。環境技術の移転も含め、資源獲得には多元的な関係構築が欠かせない。

〈引用おわり〉

■資源はその国の人たちのもの?

 この記事を見て思い出したのが、下に掲載する、AFPの報道だ。





 また、以前、このブログでも、タンザニアモンゴルの話で、ちょっと似たようなことを書いたりした。

 今回のクウェートに限らず、ロシアにしろ、アジアの途上国・新興国にしろ、
「先におカネと技術を出させといて、さんざんおいしいトコ取りをしたところで、『はい、ごくろーさん』かい?」
という気もするし、
「でも、資源はもともと、その国の(人たちの)ものだ」
とも思うし。
 …うーむ…。難しい問題だ…。
posted by 田北知見 at 17:03 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(1) | 〜について思ったこと

2007年10月10日

自分の中の「和」

 先日、「阿波踊り」を見た。
 といっても、住んでいるマンションのベランダから。
 私が住んでいるのは、東京都中央区の、下町というか住宅街にある、賃貸マンションだ。
 ベランダから見える所に商店街があり、そこを、阿波踊りのいくつかの連(グループ)が、移動しながら踊ったり、途中で止まって踊ったりしていた。

「踊るアホウに見るアホウ、
 同じアホなら踊らにゃソンソン…」

と聞こえた気がしたのだが、…気のせいか…? 今はあんな囃子はしないのだろうか…?

■鉦や太鼓にウズウズ

 部屋で用を片付けていると、囃子が聞こえてきて、
「え? なになに?」
みたいな感じでベランダに出て、
「おお、阿波踊りか」
と、しばらく見ていたのだが、
「…まあ、そんなに根を詰めて見るものでもないし」
と思って部屋へ引っ込み、用事を続けた。

 が、鉦や太鼓が鳴り、笛や三味の音が聴こえ、囃す声が聞こえる。
 ウズウズしてしまって、用が手につかない。
 それで、再びベランダへ出て、あとは最後までずっと見ていた。
(といっても、1〜2時間くらいだけど)

 われながら、物好きだなあ。

■和風の花

 先日、道を歩いていたら、おしろい花の匂いがした。

 おしろい花は、都内の路上でも、時々見かける。
 でも、ふつうはいちいち立ち止まって匂いをかいだりはしない。
 そこはたまたま、叢生していたので、匂ったのだろう。
 おしろい花の匂い、久しぶりにかいだ。
「ああ、そうそう、おしろい花って、こんな匂いだったよね」
と思い出した。

 子供のころ住んでいた家の庭には、いろいろな花があった。
 山吹小手毬鶏頭南天木瓜(ぼけ)、水仙。池には河骨(こうほね)とか。
 当時は、そんなに気にしてなかったけど、この手の花は、大人になって見ると、「美しいなあ」と思うようになった。

 ほかにも、和風の花。
 桔梗撫子(なでしこ)なんかも、昔は「地味〜」とか思っていたが、大人になってから良さが分かるようになった。

■四季と風景

 私は地方(山口県下関市)で生まれ育ったので、子供のころは、周りに田んぼや畑がふつうにあった。
(今は田んぼもかなり無くなって、宅地になってしまっているが)

 春は、紫雲英(レンゲソウ)。畑には、菜の花。
 田んぼに水が張られると、水面に水草が広がっていく。
 カエルが、クェックェックェッと鳴く。緑色の、小っちゃいやつだ。
 秋には穂が実り、田んぼが一面、黄金色になる。畦には、赤い彼岸花

 冒頭書いた、「鉦や太鼓にウズウズ」っていうのも、私は子供のころから毎年欠かさず、地元のお祭りに行ってたからだ。

(毎年8月に『忌宮(いみのみや)神社』で行なわれる、『数方庭』(すほうてい)というお祭りだ。
 長い竹でできた幟を持って、境内を練り歩くというもので、私は子供のころ、「こんなお祭り、ほかにはないだろうな」と思っていた。
 が、長ずるにつれて、秋田市の『竿燈まつり』など、同じような、それでいて、もっと華やかで、もっとスゴイお祭りがたくさん存在すると知って、ガックリしたのだった(笑)。)

■「フジヤマ、ゲイシャ」?

 以前、日経新聞の『春秋』に、
「ずっと室内でコンピュータゲームをやっている子供は、大人になってから、どんな季節感を持つのだろうか」
みたいな内容が書かれていた。

 また、最近よく指摘されるのが、若者が「和モノ」を、ファッションやイベントなどに取り入れるようになっているという話だ。

 しかし、私の印象では、彼らにとっての「和」とは、ガイジンさんが「フジヤマ、ゲイシャ、ワンダフル!」と言っているような感じがする。
 自分の中にあるものではなく、エキゾチックでフォークロアな(←ナンノコッチャ(笑))、自分の外にあるものとして「発見」し、「へぇー、こんなものがあるんだ。ファッションに取り入れてみようか」と言っているように見える。

 それが悪いとは言わないが、地方育ちの非・若者で、上記のように、時々「私って、日本人だなあ」と内から実感する人間から見ると、しっくりしないものを感じることがある。余計なお世話だけど。(笑)
posted by 田北知見 at 16:10 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 〜について思ったこと

2007年08月15日

竹ヤリとバブルとオレオレ詐欺
〜終戦記念日に寄せて

 以前、ほんの一時期だが、70代の女性としばらく一緒にいたことがある。(いまは80歳くらいになっているかな)

 親戚とかではなく、まったくの赤の他人だ。
 家族や親戚や親しい友人・知人なら、バックグラウンドとか、考え方が、ある程度、似ている、あるいは馴染みがある。
 しかしその人は、赤の他人なので、私とは、生き方や考え方が、まるで異なる人だった。

■竹ヤリで本気で戦おうと

 彼女は昭和ヒトケタの生まれで、終戦時は10代半ば〜後半くらいだった。
 戦前・戦中の学制でいうところの「女学校」出で、戦後は一時、教師を務めていたような、賢くて教養のある人だ。

 その彼女が、何かの折に、戦争中の話になった時、私に言った。
「当時は、米軍が来たら竹ヤリで戦おう、って本気で思ってたわ」

 私は驚いた。

 だって、私が読んだ、当時の人が当時書いた物の多くは、たとえば、
「こんな勝ち目のない戦争に日本を引きずり込んだヤツらは、報国の徒ではない。亡国の輩だ」
みたいな内容が多かった。
 それも、全く違う人が、全く違う場所、全く違う時に、日記や手紙として、書き残したものだ。
 学徒出陣などで、若くして出征し、戦死・戦病死した人が多かった。なので、戦後、「戦争への反省とともに」書かれたものではない。戦時中にリアルタイムで書かれたものだ。

 それで、私は彼女にそう言った。
 すると彼女は、
「でも、当時は情報統制されていたのよ」
と反論する。

 しかし、と私は思った。
 常識的に考えて、食べ物・物資・燃料は欠乏する、空爆はバンバン来る、男性はドンドン兵隊に取られて帰って来ない、あるいは白木の箱となって帰って来る。
「どう考えても、大本営発表は、あやしいんじゃないか…?」
と思うだろう。
 というか、実際そう思っていた人は多かったようだ。私も、当時その場にいたら、たぶんそう思っただろう。

 でも、いま目の前にいるこの人は、上から言われるまま、何の疑問も持たずにそれを信じ、また、もし機会があれば、命令されるまま、米軍の爆撃機や機銃掃射に、竹ヤリで向かって行くつもりだったのか…。

 そう思うと、私はぼう然としたのだった。

■マスコミに反論するなんて

 ちょうどそのころ(いまから数年前)、大手メーカーの自動車の、タイヤが外れる事故が相次いで起き、人死にまで出る騒ぎになっていた。
 当初、自動車メーカーは、「使用者(運転手)側の整備不良」で押し通していた。そして、新聞やテレビの報道も、そのメーカー発表をそのまま流していた。

 でも、私は、どう考えても、
「整備不良で、タイヤがいきなりボコッと外れて飛んで行くか? しかも、何件も相次いで起こっている。その全てが整備不良なんて、偶然の一致にもほどがある」
と思っていた。

 それを言うと、彼女は、私をたしなめた。
「あなたごときが、大新聞やNHKの報道に反論するなんて、おこがましい。新聞やテレビが言っているのだから、間違いはないのだ」
という趣旨のことを言った。

 その後の調査の結果、事実は、やはり製造側のミスだった。その後、メーカー側は、製造物(製造者)責任を認めた。

■人について行けば、大丈夫

 彼女は、同世代の人たちで構成する「歩こう会」に入っていて、時々、お友達と一緒に、自然のなかや史跡などを歩きに行っていた。

 その時々で行き先は異なり、世話役さんが、事前に、ルートや地元の見所などを調べて、地図や資料などを渡してくれる。

 彼女は言った。
「でも、地図なんて見ないのよね」
 私は訊いた。
「どうしてですか?」
「だって、幹事さんや、他の人について行けばいいんだもの」
「怖くないですか? 自分がどこにいるのか、どこへ向かっているのか、分からないなんて。迷子になっちゃうかもしれないし」
「一生懸命、ついて行けば大丈夫よ」

■レミングでなければ、生きていけない時代だった

 彼女の考え方や生き方は、私から見たら、「はぁ!?」というような、考え方や生き方だ。

 戦争中は、言われるままに必死で戦争に加担し(勤労奉仕で、武器弾薬をせっせとつくっていたりもしたそうだ)、高度成長期やバブル期はがむしゃらに働き、老後はオレオレ詐欺に高いお金を払う(彼女はオレオレ詐欺には遭わなかったが、あやしげな「リフォーム」や「消火器」に、高いお金を払っていた)。

 私は、戦時中やバブル期のことを思うと、
「日本人って、レミングみたいだなあ」
と、いつも思う。

 けれども、私には、彼女を愚かだと断じる資格はない。
 そういう時代・世代だったのだ。

 軍隊で、上官に楯突いたために、最前線に飛ばされて、一番に死ぬハメになった人たちの話は、イヤというほど読んだ。
 また、戦時中はご近所や町内で孤立したら、生きていけないような仕組みになっていた。
 高度成長期には、多くの日本人が滅私奉公的にモーレツに働いたおかげで、こんにちの経済大国ニッポンの礎ができた。

■オトナの判断ができる、成熟した国に

 しかし、いまの多くの日本人は、もう違う。

 先日、報道された調査結果では、国民の8割が、愛国心が「ある」または「ある程度ある」と思い、そのうちの9割が、日本が戦前・戦中に行なった侵略や植民地支配を「反省する必要がある」と答えたそうだ。

 上から言われるままに、何も考えず滅私奉公するのではなく、
「日本という国は好きだが、悪いところは冷静に見つめ、間違いは間違いだ」
と、客観的な判断ができる。

「クロかシロか」
ではなく、
「クロもシロもある。グレーだって、マーブルもようだってアリだ」
という、オトナの判断ができる。

 日本は、成熟した国になっている。もう二度と、同じ間違いを犯さない。
 そう思いたい。
posted by 田北知見 at 17:09 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 〜について思ったこと

2007年07月26日

自然や文化の保持と、経済成長の両立



 この手の話を見る(聞く/読む)と、いつも思う。
「こんなに美しい自然や景色が、破壊されてしまうのか…」
「純朴な人々が、カネ(経済)の洗礼を受けて『汚れて』しまうのか…」
と。

 でも、そんなのは外国人の勝手な言い分で、現地の人々は、やはり、「先進国」の人と同じような生活がしたいと思うのだろう。代わりに、カネでは買えない、いろんな大切なものを失ってしまうとしても。

 ただ、この映像を見て気になった。
 採掘業者さんも、不動産業者さんも、白人だったのはなぜだろう? モンゴル人の多くは、その恩恵に浴してないってことかな?

 一方で、もし、国民皆が、昔の日本みたいに経済成長の恩恵を受けることができるのなら、「美しい景色」なんて捨てちゃってもいいのかも。(私はそうは思わないが、少なくとも、高度成長期の日本人の多数のコンセンサスでは、そうだった)

 最近、司馬遼太郎の『街道をゆく』モンゴル紀行を読んでいる。(同時並行でいろいろ読むので…(笑))
 司馬がモンゴルに行ったのは、1970年代だったようで、いまとはだいぶ様子が違うようだ。途上国であり、かつコテコテの社会主義国で、ソ連(当時)との関係が濃厚な国。
 そういう国を旅行するのは、かなり大変だったようだ。

 それを考えれば、「ひらかれた国」になるのは、必ずしも悪いことではないのかも。と思ったりもする。

 しかし一方で、椎名誠が書いていた。
「モンゴルはいい。ただし、遊牧民から渡された馬乳酒に、馬の毛が入っていたりする。それを、『ヤダー』と思うような人には、モンゴルの良さは解らない」
みたいなことを、昔、読んだ憶えがある。(椎名がモンゴルに「かよって」いたのは、たぶん1980年代頃)

 自然や、昔ながらの文化保持と、産業・経済成長。なんとかして両立していってほしい。失敗した先輩国(日本)の国民としては、そう思う。
posted by 田北知見 at 17:22 | 東京 🌁 | Comment(2) | TrackBack(0) | 〜について思ったこと

2007年07月23日

スポーツ選手と、「花道」について。

 いま日経朝刊『私の履歴書』では、読売巨人軍の長嶋茂雄 終身名誉監督の連載が行なわれている。

 長嶋茂雄といえば、一時代を築いた偉大な野球選手・監督であり、一定以上の世代の人にとっては、特別な響きを持つ名前だろう。

 私は野球に限らず、スポーツ全般に、ほとんど興味がない。なので、長嶋氏の連載を読んでいても、
「ああ、すごかったんだなあ」
と敬意を感じる程度だ。長嶋ファンの皆様には、大変なお叱りを受けそうだが。

 ただ、1箇所、
「うわ、まじで尊敬するわ」
と思ったことがある。
 それは、引退前後のくだりだった。

■現役選手であり続けることへの執念

 記事によると、伝説の巨人軍V9達成後の1973年10月。
 川上哲治監督が、長嶋氏に、
「今年限りでバットを置いて、わしのあとを継がんか」
と、引退を勧告した。
「いまが引き際だ」
と。

 しかし、長嶋氏は「現役を続けたい」と食い下がった。
「もう1年バットを持たせてください。お金もいりません。名誉もいりません」

 結果、もう1年、選手を続けることになったが、翌年シーズンは、やはり不振。長嶋氏の選手としての最終年は、打率2割4分4厘。そして、巨人軍は10連覇できなかった。

 私はこのくだりを読んで、感動した。
「このひとは、本当に野球が好きなんだなあ…」
 V9の時点で辞めていれば、絶頂で、カッコよく辞められたのに。でも、そうはせずに、できるギリギリのところまでやって、「やっぱりダメなんだ」と納得してから、辞めたかったんだろうな、と思った。

 成績不振の時に辞めたとしても、彼にとっては、いや、応援する側にとっても、
「よくやった」
「精一杯、がんばった」
と、充分に、「花道」だったのだろう。

■後進に、花道を譲る

 話は飛ぶが、この話で思い出したのが、相撲の横綱「ウルフ」千代の富士だ。
 1991年の引退直前。当時、まだ18歳で日の出の勢いだった、貴花田との立ち合いだ。

 まるで、わざと、
「後進に(花)道を譲る」
ために立ち合ったように見えた。
「ああやって、後輩に敗けてみせて、道を譲るというのが、思いやりというか、しきたりみたいなものなのだ」
と教わった憶えがある。

 むかしの歌謡番組で、先に歌っていた歌い手さんが、ステージのスソに引っ込む時、次に出る歌い手さんに「どうぞ」というように手を差し伸べていた。
 あんな感じだろうか。人々が、お互いに思いやりあっていた、古き良き時代のしきたり。

■カッコよく辞めるのがトレンド

 でも、いまは、人気絶頂期に、あるいは選手として脂の乗った時期に、辞めることがトレンドみたいだ。
 たとえば、サッカーの中田英寿。テニスの伊達公子。
 もちろん、ある意味、カッコいい辞め時を選んだように見えるが。
 また、まだ元気なうちに選手を辞めて、旅行やおしゃれやプライベートを楽しみたいという気持ちも解るが。

(私はスポーツにはまるっきり疎いので、ぜんぜんハズしたことを書いてるかもしれませんが、その場合は、すみません)

 また、以前、ある評論家が、江川卓について、
「あの人は、野球があまり好きではなかったんじゃないか」
と評していて、笑ったことがある。
 確かに、高卒時にプロへ行かずに大学進学したり、巨人軍入団時のあれやこれや や、けっこうあっさり引退したことなどを鑑みると、そうかもしれない。(笑)

■ホントにそのスポーツが好きで

 私はやはり、野球の桑田真澄や、野茂英雄、サッカーの三浦和良、中山雅史など、
「ホントに、野球(サッカー)が好きなんだ」
みたいな感じで、しぶと〜く現役選手を続けているタイプの人たちが好きだし、尊敬してしまう。
 本人はもちろん、彼らを支える、家族や周囲の人は、大変だろうけど。

 もしかしたら、現役に固執する人と、あっさり引退する人の違いは、
「そのスポーツが本当に好きでやっている」
のか、あるいは、
「有名になる/お金持ちになるための、手段に過ぎない」
のか、の違いだったりして…?
 と、勝手なことを考えたりした。
posted by 田北知見 at 16:26 | 東京 🌁 | Comment(0) | TrackBack(5) | 〜について思ったこと

2007年07月17日

もののふどもが、夢のあと。
――滋賀県 琵琶湖東岸に旅行して

 7月14〜16日の3連休、滋賀県へ旅行に行った。

 行ったのは、琵琶湖の東側で、長浜市、彦根市、安土町だ。
 観光した場所は、次のとおり。

〈長浜市〉
長浜城:木下藤吉郎(豊臣秀吉)が建てた城を再現(再建)。なかは歴史博物館になっている。
・ 琵琶湖沖の竹生島に、船で行った。
・ あと、お寺と神社いくつか。
・ 黒壁ガラス館:地元の作家さんのガラス製品とかが売ってある。そのあたりは、『黒壁スクエア』といって、観光客向けのお店とかが並ぶ一郭となっている。

〈彦根市〉
彦根城:江戸時代をつうじて、彦根藩主、井伊家代々の居城だった。江戸時代の建物が現存。
埋木舎(うもれぎのや):井伊直弼が青年時代に住んでいた屋敷。
・ そして、『ひこにゃん』グッズを大人買い。(笑)

〈安土町〉
安土城址:織田信長が築いた安土城の城跡。現在は石垣くらいしか残っていなくて、しかも山の上。登るのが大変で、汗びっしょり、足ガクガク。(笑)
・ 信長と安土城関連の博物館×3ヵ所
観音寺城址:佐々木六角氏が建てた、中世の城跡。現在は石垣すら、ろくに残っていなくて、しかもすごい山の上。……登るの、大変だった…いやホントに…。

■なぜ、残る/再建される城と、
落城したまま放置される城があるのか


 長浜城は再建され、彦根城は残っている。
 安土城と観音寺城は、あとかたもない。
「この違いは、なぜだろう」
と考えてみた。

 まず、ひとつは、長浜と彦根は「市」であり、安土は「町」だ。
 予算の規模や、町おこしのチカラ(地元経済力)の多寡が違うのだろう。

 次に、安土城と観音寺城は山上にあったので、条件的に、再建しにくいということもあるだろう。

 さらに、織田氏と六角氏は「敗者」だから。
 豊臣家も「敗者」だが、一定期間は政権を保った。
 井伊家は江戸時代をつうじて長期間、同地に君臨したし、その後も、同家から市長が出たりと、影響力も続いていたようだ。

■人々の支持を得たかどうか

 そして、最も大きな違いは、ものすごくザックリ言うと、
「地元の人々の支持を得たかどうか」
「自分ひとりの名声ではなく、地元の人々や、この国のことを真剣に考えていたか」
ではないか、と思った。

 信長は、自分の権力拡大と支配権の膨張のみを追求していた。(ように、私には見える)

 観音寺城の最後の城主、六角義賢(承禎)・義治は、信長との戦さで敗色が濃くなると、とっとと城から逃げ出してしまい、二度と戻ることはなかった。(と、私が見た資料には書いてあった)

 一方、秀吉は、長浜城の築城・入府に際して、城下の一定区画内の居住者・商家は免税とした。
 もちろん、城下を活性化することを目的として、近隣の町から商家や住民を誘致するために行なった施策ではあったのだが。
 その免税措置は、徳川期になってからも続いたそうだ。
 地元では、(徳川政権に憚って)『豊(みのり)神社』と名づけた神社を建立し、秀吉を祀ったという。

 そして、井伊直弼も。
 幕末、開国に踏み切ったことは、独断的ではあったのだが、そこには一片の私情もなかった。(ようだ)

■国盗りの衝動に(?)かられる眺め

 ただ、信長や六角氏を、現代の価値観で判断して、
「イヤなヤツだ」
と思うべきではないことくらい、私にも解る。(笑)

 当時はまあ、そういう時代だったし。

 それと、安土城址と観音寺城址、つまり山頂からの眺めで、信長たちの気持ちが解った。

 あのあたりは、琵琶湖と、その周辺に小さい湖がいくつかあり、平野が広がっている。川もあり、気候が良くて、田んぼが広がる豊かな土地だ。そして、そのところどころに、ポコッ、ポコッ、と、山がある。

 ようするに、豊かな土地で、山・川・湖などで区切られているので、豪族→戦国大名が興りやすく、かつ「陣地取り」(戦さ)に適した土地柄なのだ。

 そして、眺望がひらけていて、土地も、湖も、さらに向こうの山並みまで、どこまでも見渡せる。なので、
「もっと、遠くまで行って、その土地も盗りたい」
という衝動に、かられてしまうのは、解る気がした。

 遠い空に、雲間から、カーテンのように陽光が射しているのを見ると、
「唐・天竺か、さらに向こうのヨーロッパの、神や仏の見る景色か」
と思うだろう。というか、私は思った。(笑)

 信長が、安土城のうちの1層を八角形にして八方に向いた形にしたのも、内装に、中国やインドやヨーロッパをイメージした絵を描かせたのも、解る気がした。

■井伊直弼の再評価について

 むかし、都内の電車の中吊りで、井伊直弼のことを、
「開国の父」
と書いてあるのを見て、「はぁ!?」と思ったことがある。
 長州者(山口県出身)の私に言わせると、
「そりゃあ、なんぼなんでも言いすぎじゃろう」
ということになる。(笑)

「畏れ多くも勅許を得ずに、独断で開国を行なった、逆賊。しかも、安政の大獄で、わしらが吉田松陰先生を、死に至らしめた、にっくき仇」
というのは冗談だが、わりと最近まで、井伊直弼って、一般的に、そういうイメージだったと思う。

 最近、この10年ほどか、少し評価が変わってきたようだ。
 というか、幕末当時の幕閣・幕臣・佐幕派の人物の評価が変わってきたようだ。
 従来の評価では、
「無能者ぞろいで、黒船の恫喝におろおろして、なすすべを知らず、外国人の言いなりになって開国した」
「もう傾いている徳川の屋台骨を必死で支えた、時代を見る目がなかった連中」
と言われていた。

 しかし、最近は、
「いや、意外と有能な人物もいて、当時の国情でできる最大限の範囲内で、外国人との交渉を粘り強く行なったのだ」
といった評価がなされるようになった。

 研究が進んで、新しい史料が出現したり、あるいは、時代の流れ(明治〜戦前の勝者(薩長)史観がなくなってきた)もあるためだろう。

 私も今回、彦根城博物館と開国記念館を見て、井伊直弼という人物への認識を、新たにした。

 ただ、やはり、長州者の私としては、思ってしまう。

 直弼が「不遇の青年時代を過ごした」という『埋木舎』は、かなり立派なお屋敷だった。
 山口県萩市に残って(再現されて)いる、松陰先生の『松下村塾』は、もっと小さくてボロボロの陋屋だ。
 立場が違うとはいえ、当時の国内情勢ゆえとはいえ、必要であった政治判断とはいえ、やはり、
「松陰先生を、死なせる必要があったのか…?」
と、どうしても、思ってしまうのだ。

■もののふどもが…

 しかし、その直弼も、その施策ゆえに、尊攘派のテロリズムに斃れる。

 唐・天竺・ヨーロッパまで、と夢を肥大させた信長も、本能寺で灰になった。
 一代で天下人まで成り上がった秀吉も、豊臣家は、息子の代で、ツブれてしまった。

 私は、ひと気のない城址で、夏草が、さわさわと風に吹かれるさまを見ながら、兵(つはもの)ならぬ、
「武士(もののふ)どもが、夢のあと」
と思ったのだった。
posted by 田北知見 at 17:50 | 東京 🌁 | Comment(1) | TrackBack(0) | 〜について思ったこと

2007年06月28日

「出生率向上の条件」について。

 きょう28日付の日経朝刊『経済教室』欄に、経済学博士の丸尾直美・尚美学園大学 客員教授の、出生率回復についての寄稿が掲載されていた。

 同稿によると、出生率を回復するための施策・条件として、
1. 保育、児童手当などの家族政策
2. 女性就業が一般化する男女共働社会
3. 経済の活性化と雇用改善
――の3点が挙げられている。

 私が瞠目したのは、このうちの2点目だ。
 その項目に関連して、次のようなことが書かれている。

「政治社会学者のエスピアンデルセンが『保守的福祉資本主義国家』と呼ぶような、ドイツ、イタリア、スペイン、日本、韓国などは、概して出生率が低い」
「そうした国では、職場の男女処遇格差が大きく、管理職に女性が特に少なく、家庭での男性の家事・保育従事時間が異常に短い場合が多い」
「男女間の伝統的役割を区別する傾向も残り、働く女性は家庭と職場での二重労働負担が大きい」

 日経新聞で、しかも一定以上の年代の(丸尾氏は1932年生まれ)男性識者で、こんな指摘をする人がいるなんて、驚いた。

 日経なんかに出るような男性識者(とくに一定以上の年代の男性)は、女性が家事や育児をすることは大前提であり、自分自身が家事や育児で苦労したことがなく、生活者としての実感がないまま、また、女性が出産・育児を忌避する理由や、女性たちは自分たちと同じ人間であり、同じように仕事をしたいと思っている、といったことに全く慮外なまま、経済理論や数字や理屈だけで、「こうすればよい」「ああすべきだ」と、ご高説をタレるものだ。と思っていたので。(笑)

 ふだんの日経の記事や寄稿からは、
「労働人口は減るし、好景気で人手不足なので、女性には働いてほしい」
「とはいっても、派遣やパートの安い賃金で。そして、補助業務で」
「女性が家事や育児を行なうのは大前提。そのうえで、仕事と両立できるようにね」
という雰囲気が、いつも紙面からにじみ出ているので。(笑)

 私はいつも、少子化対策の話題が出ると、冗談めかして(←めかして、ということは、実はマジってことっすか?(笑))、
「家事や育児を配偶者どうしで半々に分担すること、って法律で決めれば、出生率2くらい、すぐ行くんじゃない?」
と言っているので。(笑)
posted by 田北知見 at 16:35 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(2) | 〜について思ったこと

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