東京・両国の江戸東京博物館で、『天璋院 篤姫』展を観た。(4月6日まで)
駅貼りポスターで、天璋院の、きりっとした姿、きかぬ気の強そうな顔と、
「女の道は、前へ進むしかない、
引き返すのは恥でございます。」
という言葉(キャッチコピー)にシビれて、観に行きたかったのだ。
(以前、西太后展やモンゴル競馬の時も書いたが、私はやはり、気の強い女性が好きだ。W)
■篤姫 波乱万丈の人生
天璋院 篤姫は、幕末の1835(天保6)年に、薩摩で生まれた。
1856(安政3)年、21歳で徳川将軍家定の正室として輿入れ。
そのために、彼女はまず薩摩藩主 島津斉彬の養女となり、さらに、右大臣 近衛忠煕の養女となっている。
当時、こうしたことは珍しくはないけれど、やはり、徳川家から島津家へ「正室を」との話があった時に、上記のややこしい手続きを踏んででも、「ぜひ彼女を」となったのは、一門のなかでも、彼女の賢さ、優秀さゆえなのだろう。
というのは、当時、家定の次の将軍候補として、紀州藩の家茂と、一橋慶喜の名が挙がっており、一橋派だった斉彬は、篤姫に、大奥からの幕府工作を期待していたらしい。
しかし、婚礼から、たった1年半後に、家定は病死。篤姫は23歳の若さで未亡人になってしまう。同年、斉彬も死亡。
篤姫は、期待された幕府工作に力を発揮できず、それどころか、江戸城内(夫)と地元薩摩(養父)の、両方の後ろ盾を失い、どんなに落胆しただろう。
「この先、生きる甲斐は、あるのだろうか」
と思ったのではないか。
しかしその後、次の将軍 家茂の後見役として、公武一和に側面から尽力。
また、家茂上洛時には、家茂の正妻 和宮とともに、将軍不在の江戸城の留守をあずかったという。
さらに時代は変遷し、戊辰戦争に際しての江戸城無血開城や、徳川家安堵にも、側面から尽力したようだ。
「官軍隊長宛 書状」なんかは、読んでて思わず涙ぐんでしまった。
■「なんで私が」と思わなかっただろうか
篤姫は、藩主一門のお嬢様として生まれ、ふつうだったら、蝶よ花よで育てられ、そのまま奥様となって、何の苦労もない人生が送れたはずだ。
なのに、賢く優秀で、責任感の強い人だったために、なんだか大変な人生を送ることになってしまった。
結婚して、あっという間に夫に先立たれた時、
実家の一門あてに、婚家の者たちの助命嘆願を行なった時、
「なんで私が」
と思わなかっただろうか。
いや、彼女のことだからきっと、
「これが私の人生なのだ」
と、運命から与えられた役割を、一生懸命、まっとうしたのだろう。
2008年03月24日
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本の名品 03242008
Excerpt: NHKの今年の大河ドラマは、宮尾登美子原作の『篤姫』、宮崎あおい主演で、愉しまれている方も多いのではないか。徳川13代将軍・家定の御台所になり、その幕末期を舞台にした波乱万丈の生涯を描く物語である。...
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