2007年07月09日

村上春樹の紀行文を再読して

 『キッチンカブー』無料ページの『企業・ウオッチング』7月9日更新分(毎週月曜朝更新)にも書かせていただいた、ノートパソコン関連のサイト。
 『原始人ブログ』は、最終回を迎えてしまった。もう更新はないのだと思うと、ちょっとさみしい。(笑)
 一方、ゴルゴ13が出てくる『ウルトラライト』サイトのほうは、まだ次の更新があるようだ。ヨカッタ。

 『キッチンカブー』の有料ページ『カブーフレンズ』の『トレンド・ウオッチング』7月9日更新分(毎週月曜朝更新)でも、ちょっと触れたが、最近、椎名誠と村上春樹の旅行記を再読している。

 トレンド・ウオッチングでは書かなかった、村上春樹の紀行文について、ここで少し、書かせていただく。
 たとえば、ギリシャ、トルコ紀行の『雨天炎天』、メキシコやノモンハン紀行などが収録された『辺境・近境』などだ。

■途上国における欧米人の態度、みたいな…?

 村上春樹の紀行文を読むと、ちょっと欧米人の書いた紀行文を思い出す。(といっても、そんなにたくさん読んだことはないけど)

 情景や事実を羅列するだけでなく、それに対する感想や、それらの背景にある、形而上的な意味のようなことにまで、踏み込んで思索・言及する。
 ある時は、真摯に。
 ある時は、ユーモアをまじえて。(←とくにココの部分が、欧米的。)
 そしてその態度は、異文化に対してフェアであろうとはするのだが、一方で、「でも自分の価値観としては、それはないんじゃないかと思う」といった指摘も抜かりなく行なう。

 …うーん…。うまく表現できないなあ…。

 私が最近読んだ小説でいうと、チャールズ・ベノー著『レッド・ダイヤモンド・チェイス』(坂口玲子 訳)とか、パトリック・ウッドロウ著『南海のトレジャーハント』(熊谷千寿 訳)の主人公みたいな。(イヤ、この例えは強引すぎるか…(笑))

 中東だろうと、東南アジアの南海だろうと、アフリカだろうと、どんな所へ行っても、「郷に入っては郷に従え」を実践しつつも、それでいて、
「自分はアメリカ人なんだ」とか、(前者の作品の主人公はアメリカ人)
「どこにいても、イギリスの、自分の出身地や、地元の周囲の人を大事に思っている」(後者の作品の主人公はイギリス人)
つまり、自分のルーツは忘れないというか。

 現地の人と、真摯に対等にまじわりつつも、どこか一定の距離を置いて眺めているというか。

 …うーん…。ますます何を書いてるのか、わからなくなってきた…。

 ああいうのは、白人特有の、あるいは、村上春樹のように、アメリカナイズされた(と、私には見える)日本人特有の態度なのだろうか…?

 知らない場所へ、気後れせずにドシドシと行き、現地・現地人のやり方に順応しつつも、それでいて、自国の文化ややり方は曲げない。

 そういう情景を、紀行文や小説で読んでいると、むかしのヨーロッパ人たちが、
「南北アメリカや、オーストラリア、ニュージーランドなどの『新大陸発見』」
や、
「暗黒大陸アフリカの『奥地探検』」
などを行なった時も、こういう感じだったんだろうなあ、と思う。

 …たぶん、私の言いたいこと、うまく伝わってないですね…。すみません…。


posted by 田北知見 at 17:00 | 東京 ☁ | Comment(1) | TrackBack(1) | よいこの読書感想文
この記事へのコメント
遠くに行くと、自分の個性(というか自我ですね)はローカルなものに育まれていて、そこから一歩も踏み出せないことに気がついて愕然とする時があります。
「中国人は脂っこいものばっかり食ってるな」とか「アメリカ人は、甘いか、塩っ辛いか、胡椒辛いか、単純な味覚のものしか食ってないな」とか、全て日本の片田舎に育った一人の人間というか、一匹のホモサピエンスというか、一つの生命というか、一つの存在(私が存在しているんじゃない存在が私しているんだ ・・・ ハハ ・・・ 力が正義ではない、正義が力なのだ ・・・ 何の話でしたっけ)が感じているのです。
(問1、前の文章の主語と述語を答えよ)

「私、生まれも育ちも葛飾柴又です」とか
「小倉生まれで玄海育ち」とか
「風の谷のナウシカ」とか
「東京生まれ、ヒップホップ育ち・・・悪そな奴ぁみんな友達」とか、みんな自分のアイデンティティの根っこにローカルなものを抱えているのです。

ローカルを脱し、見聞を広めてグローバルな人格を磨くために訪れた異国で、自分はどうしようもなく何人であるかを自覚するのは、村上春樹が「欧米か!」しているからではないと思います。
(やっと本題に戻ってきました)
日本に来たマサイの若者が「日本人はライオンを食べないのか」と思うこともきっとあるはずです(と、思います)

今まで見たことのないものを見に行くということは、日頃見すぎて当たり前になっている風景を発見する「自分が何者か」を発見するということで、適当な比喩を探すとするならば「お汁粉ばっかり食っていると何を食っているのかわからなくなるけれど、塩っ辛いたくあんを一口食べれば、お汁粉の続きをまた美味しく食べられる」ということであり、旅の醍醐味は「たくあん」を食べることなのです。
(問2 この比喩は直喩か暗喩か、また何を何と比喩しているのか答えよ)

なんで、こんなに熱く語っているのかわからなくなってきたので、この辺で・・・
そういうことが伝えたかったわけじゃないですか・・・
Posted by マサイの戦士 at 2007年07月09日 22:39
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Excerpt: 紀行紀行は、旅行の行程をたどるように、体験した内容を記した文。旅行記とも。.wikilis{font-size:10px;color:#666666;}Quotation:Wikipedia- Art..
Weblog: 小説耽読倶楽部
Tracked: 2007-07-28 06:38

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