2007年06月19日

まだまだ、あなどっていた。ごめん。北海道。

 講談社学術文庫『エゾの歴史 〜北の人びと と「日本」』(海保嶺夫 著)を読んだ。

 おもに、北海道を中心とした、エゾとエミシの歴史について書かれている。

 以前、このブログの「東京≠中央」でも書いたが、北海道は、日本だけの地図で見ると、最北端なのだが、世界地図で見ると、そうでもない。どころか、「北方民族」や、「オホーツク文化」という観点で見ると、最南端だ。

 また、「内地」(本州など)が弥生時代に入り、稲作を始めてからも、北海道と東北地方の一部では、続縄文期が続いていた。
 しかしこれは、文化的に「後れていた」わけではなく、気候・植生・自然環境その他が、稲作よりも、狩猟・採集生活に適していたからだ。

 15世紀には、「中央」(足利政権)とは別に、「夷千島王」の使いと名乗る一団が、朝鮮に来たとか。
 この「王」は誰か。
 いろいろな説があるが、東北地方(現 青森県・秋田県の日本海側)に拠っていた安東氏ではないかとの説が有力だ。
 また、同じ時代の朝鮮には、平泉(現 岩手県=奥州藤原氏)との交易の記録もあり、東北政権が独自に貿易をしていたことが判明している。

 などと、分かってはいたのだが、上記の本を読んで、まだまだ「北の人々」を、あなどっていたことが判明した(笑)。

■アイヌの、逆「元寇」

 アイヌの人びとは、船で、あるいは凍った樺太(サハリン)経由で移動し、現在のロシア沿海州や中国東北部、カムチャツカの各地・各民族と交易をしていた。それも、古代から、江戸時代中期ごろまで。

 また、時代が前後するが、アイヌの人びとは、13世紀には、樺太などを舞台に、元(モンゴル)軍と、戦さもやったそうだ。それも、数十年にわたって、断続的に。
 同じく13世紀に、九州へ襲来した「元寇」とは逆に、アイヌのほうが打って出る戦さだったらしい。
 アイヌが、樺太などに住む、ギリヤークやウィルタといった民族を侵略し、地元民は「宗主国」の元に助けを求め、元軍が出張って来て戦さとなった。
 最後はどっちが勝ったというよりも、和睦したらしい。
 中国の書物『元史』などに記録が残っているそうだ。

 などということは、この本を読んで、初めて知った。
 ごめん、北海道さん、まだまだあなどっていたよ。と、申し訳ない気持ち(?)になった。

 関係ないけど、洞爺湖サミット、がんばってね、北海道さん。


posted by 田北知見 at 15:53 | 東京 ☀ | Comment(1) | TrackBack(0) | よいこの読書感想文
この記事へのコメント
何の本で読んだかも忘れましたが「和語では「そら」はそれ以上区切れないけれど、アイヌ語では「そ」(上のほうに)+「ら」(広がる)と分解できるので、アイヌ語が和語の先祖だと断定できる」と書いてありました。そう考えると「草原(くさはら)」とか「海原(うなばら)」とか、アイヌ語っぽく聞こえますよね。
余談ながら、岡本太郎が「俺は、縄文土器を発見した」と言うから「どこで?」と聞くと「国立博物館で発見した」と答えたそうです。「縄文時代の美を縄文土器の中に発見した」と言うふうに解説してもらわないと我々凡人にはわかりません。
更に余談ながら、桃井かおりが、「記録映画で見たんだけど、岡本太郎ってすごいのよ、彫刻を彫るって言って、何にもないところに、ノミを持つ格好だけして、一生懸命彫ってるのよ、こうやって彫ってるのよ、私びっくりしちゃった」と身振りを交えて語っていましたが、天才が天才を評価する観点は、私ども凡人には計り知れないと思い知りました。
余談ついでに、幸村誠著「ヴィンランドサーガ」という漫画を呼んで、西洋史の面白さを知らなかった今までを「人生半分損していた」ような気持ちになりました。司馬遼太郎を初めて読んで「日本史を勉強しておけばよかった」と思ったのと同じくらいのインパクトでした。
幸村誠の描く「アイヌサーガ」を読んでみたいな。と言うところで起承転々々々結のお話でした。
Posted by 遮光器土偶 at 2007年06月20日 00:45
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