2007年06月04日

『天安門事件』について

 17年前のきょう、中国・北京で『天安門事件』が起きた。

■天安門事件の起きた年、私は

 事件の起きた1989年、私は日本の福岡で、のんびりと大学生をやっていた。

 天安門事件の報道に接し、
「同じ大学生なのに、ずいぶん違うなあ」
と、彼我の置かれた環境(もちろん、こちらのほうが断然ヌルい)や、志の違いを感じ(もちろん、彼らの志のほうが、断然立派)、
「そういえば、私が生まれたころに、日本でも学生運動が盛んだった。中国はいま、そういう時期を迎えているんだな」
と思った憶えがある。

 ただ、その年、私は3年生で、学内スポーツ紙の編集長をしていた。
 コラムに、
「中国は、日本なんかとは比べ物にならないくらい、長い歴史と深い文明がある」
「いまは一時的に、歴史に逆行しているように見える。が、あの国は、これからも前進すると信じたい」
という内容のことを書いたと記憶している。

■民主化を求めて轢き殺された学生たちの

 その約2年後、1991年3月、私の大学卒業旅行は、中国だった。
 男子3人、女子2人の、同級生5人で、10日ほどかけて、上海、西安、成都、桂林などを周った。

 北京は、飛行機の乗り継ぎの関係で、立ち寄っただけだ。
 待ち時間が数時間あり、本当は空港でおとなしく待っていなければいけないのだが、私たちは、どうしても天安門広場が見たいと、現地人のガイドさんと運転手さんに頼みこんで、バンを飛ばしてもらった。

 広場は、もう、事件の痕跡はあとかたもなかった。
 現地の人がいっぱいバラバラに歩いていて、兵隊の姿もちらほら見えた。ただ、当時の中国では、兵隊姿の人は、普段から、あちこちふつうに歩いていた。

 同行の友人が、
「うわ、これ、血じゃねぇ?」
と、地面を指さした。地面に赤黒い跡がところどころあった。
 それが、民主化を求めて、戦車に轢き殺された学生たちの、血の跡かどうかは、分からなかった。




posted by 田北知見 at 17:48 | 東京 ☀ | Comment(1) | TrackBack(0) | 〜について思ったこと
この記事へのコメント
「冷戦終結とともに中国にも民主化の時が」的なマスコミの論調をあざ笑うかのように世界中のマスコミのカメラの前で学生たちに発砲した中国政府の行動に唖然としたのを覚えています。権力を掌握するために「友好」「平和」とニコニコ笑ったほうがいいときにはそうするし、鉄砲で撃ったほうがいい時にはそうするという、あっけらかんとした態度は我々の感性とは少し違うようです。
中国は、最後の社会主義大国という以前にアジアの中心に位置し古代からさまざまな民族が文明を築き、滅びという歴史の積み重ねの中で「舞台の中心慣れしている」と思うのです。「中華」という響きには(他民族蔑視の響きがありますが)そういう現実認識がこめられていて、地政学上正しいと認識だと思います。それは日本が地政学上端っこにあって反対側は巨大なオーシャンであり、大陸とは海峡で隔てられているローカルな島(と呼ぶには少々大きすぎる)という認識が正しいのと同じです。
世界の中心で愛を叫ぼうとするならやはり「中原で愛を叫ぶ」べきなのではないかと思うわけです。

あの頃のキーワードを自分の中から探しているのですが、冷戦終結、社会主義陣営の崩壊、ケ小平の改革開放路線、趙紫陽の失脚、湾岸戦争、自社さ政権、ヤルタからマルタへ、ベルリンの壁撤去、ワレサ議長とヤルゼルスキ国家主席、沈黙の艦隊、等々。
年表にマッピングしようとしましたが、もう整理がつきません、世紀末のごたごたの空気を吸いながら、青春時代を過ごせた事に、少し幸せを感じています。
Posted by ゴルバチョフは昔プロレスラーで頭のあざはその時のものだと・・・ at 2007年06月05日 11:04
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