2007年05月08日

惣領冬実のマンガ『チェーザレ』と
マキャベリズム

 『ダ・ヴィンチ』展を見に行った(きのう7日付け参照)帰りに、書店で、惣領冬実のマンガ『チェーザレ』3巻が出ていることを発見。即買いして読んだ。
 15世紀ルネサンス期のイタリアを舞台に、チェーザレ・ボルジアを主人公としたマンガだ。

 3巻には、ニッコロ・マキャベリが登場した。
(ちなみに、1〜2巻には、レオナルド・ダ・ヴィンチや、クリストバル・コロン(コロンブス)が登場した。)

 1〜2巻を読んだ時、チェーザレの言動から、私は、
「チェーザレは、マキャベリストだったのね」
と思っていた。巻末の参考文献一覧にも、マキャベリの『君主論』が挙がってたし。

 が、3巻を読んで、逆だということに気づいた。
 マキャベリが、チェーザレをモデルに『君主論』を書いたのだった。今回、1〜2巻を読み直したら、巻末の対談に、その旨、記載されていた。気づいてなかった…。

■「マキャベリズムは好かん」と言ったって

 私はマキャベリズムや専制君主制は、全く支持しない。

 でもたとえば、青池保子のマンガ 『アルカサル −王城−』を、読むと――。

 この作品の舞台は、14世紀のイベリア半島。
 レコンキスタ(イスラム教徒からの、キリスト教徒の「国土回復運動」)終結前夜、イスパニア(スペイン)統一直前の、カスティリア王国の、国王ペドロ1世を主人公としたマンガだ。
 当時のカスティリアは、国内の諸勢力の内乱、近隣諸国との紛争・内政干渉、イスラム教国との戦争。まさに、内憂外患である。

 これなんかを読むと、中世からルネサンス期、いや、つい最近の近代まで、強権的な国家(君主)でなければ、国はつぶれる、また、政治家は、権謀術数を用いねば、勝ち残れない、という世界だったのだなあ、ということは解る。

 なので、今の時代に生きる私が、
「マキャベリズムは、好かん」
と言っても、当時の人たちから、
「イヤ、専制君主もおらず、人権が最重視され、立派な政治家が私利私欲を捨て、権謀術数も使わず、理想へ向けて邁進する。そういう世界が望ましいに決まってる。でも、現実としてはね…」
と、ツッコミが入るのだろうなあ。と思ったりもする。

■「異なるものを排除しようとすることに、
  無理があるのだ」


 『チェーザレ』3巻の話に戻る。
 今回の見所は、チェーザレと、フランス人の大男アンリが行なう「闘牛」。(←イヤ、ホントは違うのだが…)

 前回、『チェーザレ』1〜2巻について書いた時(2006年12月25日 『よいこの美術鑑賞』カテゴリ)と同様、やはり今回も、感動と共感を持てるセリフが出てくる。

 キリスト教徒の「矜持」を持つアンリが、ユダヤやイスラムを否定することに対し、チェーザレは、次のようなことを言う。

「宗教が違おうが、人種が違おうが、優れたものは優れている。学んで何が悪い?」
とか。
「もともと、生まれた場所が違えば、人種も宗教も、言葉も異なるのが当然だ。異なるものを排除しようとすることに、無理があるのだ」
とか。

 これは、薄っぺらなヒューマニズムや、浪花節ではない。

 当時の、新しい考え方である、ルネサンス(「文芸復興」のほうじゃなくて、「人文主義」のほう)的な思想を、背景にしていると思われる。

 つまり、中世的な「宗教が何よりも最も高い位置にある」「魔女狩りや俗信に代表される、因循で非合理的」な考え方ではなく、「人間が中心」であり、「科学的、合理的に、物事を見ようよ」という考え方だ。

 また、チェーザレ自身、庶子ということで、因習や、つまらないタテマエに対して、批判的だったのかもしれない。

 しかし、上記のチェーザレの言葉は、21世紀の現代でも、いや、今こそ、世界中の人々が、再認識する必要があるのではないか。とも思う。


posted by 田北知見 at 15:58 | 東京 ☀ | Comment(1) | TrackBack(0) | よいこの読書感想文
この記事へのコメント
マキャベリ(塩野七生風に言うとマキャヴェッリ(笑))の言葉は、普遍性を持っていると思います。「現実主義とは何か」ということが、飾りっ気なしで書かれていて好感が持てます。ただ、憑かれたように権謀術数を繰り返す人はちょっと好きになれません。
経営者や、政治家など理想を追い求めて壁に突き当たった人が「マキャヴェッリ語録」を涙ながらに読むと言うことは十分に在り得ると思います。
宮崎駿監督が「現実的な理想主義者でありたい。現実を見ない理想主義は絵空事だし、理想のない現実主義者は最低だ」というようなことを言っていました。(宮崎監督がマキャベリストと言っているわけではないので誤解がないように)
特に乱世にはマキャベリストが必要なのでしょう。ずっと前に自民党の田中派3奉行について「平世の羽田、乱世の小沢、大乱世の梶山」という評価がありました。自衛隊法の周辺事態とは何かとの問いに政府見解が「特定の地域を指すものではない」と言って逃げているとき「台湾海峡に決まってるじゃないか。地図を見れば馬鹿でもわかる。中国が台湾を攻撃したとき、日本は米国と一緒に台湾を守りますということだ」と言いにくい事を平気で言っていた梶山さん。「現実主義」とはこういうことだと思いました。梶山さんが首相になる事態が起こらなくて本当に良かったと思いますが、それもまた今のところ幸運な事態が続いているだけなのかも知れません。
Posted by 塩野七生はしおのななみと読むんですね at 2007年05月09日 12:56
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