2007年04月05日

これ以上、「悪役」にならなくても。

 きょうも、AFP BBの写真とニュース記事を貼り付けてみた。



 とりあえず、良かった。
 領海侵犯か、そうでなかったかはともかく、英兵の拘束を続けると、イランが「悪役」扱いされて、イランのためにもならないと思っていたので。

■「イスラム」について。

 ちょうどいま読んでいるのが、司馬遼太郎の対談集『日本人の顔』。
 そのなかに、カイロ大学客員教授や、イラン王立哲学アカデミー教授を歴任した、黒田寿郎氏との対談がある。

 掲載誌は、『週刊朝日』1980年1月11日号。
 イラン革命が起きたころで、対談のお題は「イラン革命の文明的背景」となっている。お二人の、イスラムの文化、歴史、考え方についての考察が語られていて、参考になる。

■砂漠と岩山、遊牧と隊商の人々に合致

 私自身のイスラム体験(?)といえば、エジプト、シリア、ヨルダンを旅行したことがあるくらいだ。
(インドネシアとマレーシアも旅行したことがあるが、リゾートが主だったので、その時は、あまりイスラム文化に触れなかった)

 その数少ない経験から、私なりに、思ったことがいくつかある。

 ひとつは、
「イスラム教は、砂漠や岩山ばかりといった、過酷な自然に合致している宗教らしい」
ということだ。

 見渡す限りの、砂漠と岩山。バスで何時間も走ったって、砂漠と岩山が続くのだ。
 夏は(あるいは、昼間は)暑く、日差しが刺すようにキツい。冬は(あるいは、夜は)寒く、雪が降り、気温は零下となる。
 そのなかを、遊牧や隊商を組んで移動する。
 自然も、仕事も、かなり厳しい。
 何か、心身を厳しく律するもの、精神のよりどころとなる、強く絶対的な存在が、必要となるのではないか、と思ったのだった。

 そしてもうひとつ、そうした環境のなかで、
「不思議な運に巡り合って助かった」
とか、逆に、
「運悪く、大変な目に遭った」
という、不思議な経験が、時折、あったのではないか、と勝手に推測した。

 そんな時、人々は、人知の及ばない、大いなる神のような存在を感じずにはいられなかったのではないか。
 イスラムでいうアッラー。日本や中国でいう「天」。「天網恢恢疎にして漏らさず」とかの「天」だ。
 西欧風の、「個人と契約して、いい子にしてれば、天国へ行ける」(←乱暴な解釈ですみません)という神ではなく、もう少し、アジア的な、自然を受け入れるタイプの人々が考える神様。

 3つ目は、国家でも、部族でも何でもいいのだが、人々を「たばねる」ために、厳しい宗教が必要だったのではないか、という点だ。

 なにせ、数千年にわたって、遊牧や通商を行なってきた人々だ。
 たとえば、日本人のように、約2000年にわたって、皆で協力して田んぼ仕事をやってきた、という民族とは違うのだ。
 独立心が強く、てんでんばらばらで、誇り高い人々。
(というか、そうでないと、遊牧や通商は成り立たない。逆に、田んぼ仕事は、皆で、または皆と、同じことをしなければ、うまくいかない。)
 そういった人々をたばねるには、かなり厳しいシバリが必要だったのではないか、と、これまた勝手に、私は推測したのだった。


posted by 田北知見 at 14:39 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 時事ネタいじり
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。