2007年01月25日

自然の移ろいと永遠性

 先日、日経新聞に「オルセー美術館展特集」が載っていた。
 ああ…また美術&旅行ネタに走ってしまう……先に謝っちゃおう。すみません。

 同展は、2007年1月27日〜4月8日に東京・上野の東京都美術館でひらかれるもの。フランス・パリにあるオルセー美術館から、有名画家の作品が数多く出展される。

■真逆の、セザンヌと、モネ

 記事には、いろいろなネタ(?)が書かれていたが、私が「おっ」と思ったのは、ポール・セザンヌの作品について書かれている箇所だ。

 セザンヌは、南仏にあるサント・ヴィクトワール山を描いた絵を数多く残している。その理由は、記事によると、
「時の流れに左右されない不変の要素こそ、セザンヌが絵画に取り込もうとしたものだった」
「自然の移ろう表情ではなく、その奥にある本質、揺るがない『永遠』をカンバスに写し取ろうとした」
「太古から泰然とそびえるサント・ヴィクトワールは、絶好のモチーフとなって立ち現れたに違いない」
という。

 私はこれを読んで、
「モネとは真逆なんだ…」
と思った。

 セザンヌと同時代の画家、クロード・モネは、池と睡蓮の絵を数多く残している。さまざまな色調の絵だ。ほかにも、ルーアン大聖堂など、同じ景色を異なる色調で描いた作品が多くある。
 それは、時間や季節などによって移ろう光の色などを、キャンバスに写し取りたかったからだった。

■移ろう光も美しいし、自然の不変性に感動することもある

 数年前、私も、おフランス(笑)旅行中に、南仏のセザンヌのアトリエだった家へ行ったことがある。
 その際、サント・ヴィクトワール山も見たのだが、
「ああ、これが、あの…」
と思っただけだった。(私が、とくにセザンヌのファンというわけではないからかもしれないが)

 その時の私の印象に残っているのは、むしろ、家の周囲にある木々の葉が、風に吹かれてさわさわと揺れている、その美しさだった。南仏の強い陽光でできた木洩れ日が地面に当たって、くっきりとした影とコントラストをつくり、チラチラと動いている、その美しさだった。

 もちろん、セザンヌの描こうとした、自然の不変性や永遠性に感動することもある。

 中東のヨルダンとシリアを旅行した時に見た、モーゼの時代そのままの、見渡す限りどこまでも続く、荒涼とした岩山と砂漠。

 中国の桂林。濃淡の墨でえがかれたような、山と空と川。墨絵そのままの景色だった。

 アメリカのグランドキャニオン。あまりの大きさに、ただただ、呆然とした。そうそう、車でドライブ(移動)した、アリゾナのサボテン砂漠も。(電柱みたいにでっけえサボテンが、地平線にいたるまで、無数に立っている!)

 ヨーロッパへ行く飛行機の窓から見た、赤茶色のユーラシア大陸。シルクロードの一景色だ、と思った。

 エジプトの砂漠。国内線で飛んだ時、時速数百キロの速さで1時間も2時間も飛んでいるのに、ずうっとずうっと砂漠だった。

 ヨーロッパのアルプス山脈もそうだった。飛行機で1時間くらい飛んでも、ずっと見えていたと記憶している。

 飛行機から見た富士山。私が見ることができたのは、ほんの何回かしかないが、一番、印象に残っているのは、逆光を浴びてくろぐろと、雲を突き抜けて、「ぬっ」としか表現しようのない様子で、姿を見せていた時だ。「畏怖」としかいいようのないものを感じて、鳥肌が立った。

 人は(というか、少なくとも私は)、移ろいに美を感じるし、雄大さに畏怖を感じる。やはり、自然は尊敬すべきものなのだと思う。


posted by 田北知見 at 17:36 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | よいこの美術鑑賞
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