2006年04月10日

日本的な美

 司馬遼太郎とドナルド・キーンの対談を収録した本『日本人と日本文化』を読んだ。またもや古い本の話で申し訳ない。
 どういうものが「日本的な美」か、という話のなかで、そのひとつに、キーンは、陶器の、織部や志野のような、わざと「粗末に見えるようにつくられたもの」を挙げている。
 それに応えて、司馬は、千利休や古田織部の例を引き、京都・広隆寺の弥勒菩薩像の例を引く。そして、「日光東照宮のようなキンキラキンなものってあまり良くないね」という意味のことを言っている。

 私も、たとえば室町時代末期あたりにつくられた、真っ黒な、それでいて微妙な色合いを含む茶碗は美しいと思う(でも実は、柿右衛門の白や、九谷の黄色や、萩のベージュグレイも好きなのだが、まあそれはそれとして)。
 なんかアヴァンギャルド(前衛的)な感じがするよね、と思っていたのだけれど、実際に、そうだったらしい。
 司馬とキーンの話によると、応仁の乱(1467〜1477年)は革命戦争と位置づけられるそうだ。それから戦国時代へかけて、中世的な古い権威が崩れ、新しい価値観が構築された時期だった。
 わざと粗末さを演出したり、わざとひびを入れて接いだりして、それを美しいものだとするのも、それまでの「美」の概念に対する革命だった。
 私の好きな山田芳裕のマンガ『へうげもの』1巻で、真っ黒な茶碗をつくり、それで茶をふるまう千宗易(利休)に、羽柴(豊臣)秀吉が、
「こんな粗末な黒い茶碗をつくって、どうするつもりだ?」
という意味のことを訊くシーンが出てくる。
 宗易は答える。
「この国を、信長様(織田信長)は、武をもって、華の国にしようとしている。が、私は、芸をもって、さびの国にしたい」
 つまり、「新しい美の概念を創造したいのだ」というのである。

 それから500年ちかく経ったいま、実際にそれは、日本の美の典型のひとつとなっている。


posted by 田北知見 at 12:01 | 東京 ☁ | Comment(0) | TrackBack(1) | 〜について思ったこと
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