株・黄金分割比投資法 著者名:田北知見著 かんき出版

2008年04月16日

密猟と保護施設と、……。





 密猟と動物の密輸については、ジェイムズ・W・ホールの小説『大密林』(北澤和彦 訳)で読んだことがある。アジアでの舞台はベトナムではなく、おもにボルネオ(マレーシア)だったが。
 フィクションだけど、密猟・動物密輸の残酷さは、充分に伝わってきた。
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 何年か前、ボルネオに行った時、オランウータンの保護施設を少しだけ見る機会があった。親とはぐれたり、親がアクシデントとかで死んでしまって、路頭に迷った子供たちを保護して、ある程度まで育て、その後、森に放すための施設だった。
 説明は英語だったので、あんまりよく解らなかったけど…(笑)。

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 上記報道動画で、爬虫類(カメレオンみたいな、トカゲのでっかいの)の口を開けて、虫のエサを詰め込んでやっている映像を見て、先日行った、ヘビ専門の動物園?を思い出した。
 そこでは、「ハブの採毒実演」をやっていた。
 係員さんが、ハブを掴んで口をパカッとあけさせ、毒を絞り出すのだ。目測で、50ミリリットルくらい?絞り出していた。
 ハブの毒って、スゴイんだなと思った。

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 3つの話、とくに整合性もオチもありません。すみません…。
posted by 田北知見 at 16:34 | 東京 ???? | Comment(0) | TrackBack(0) | 趣味に走ってスミマセン

2008年04月02日

パンダ ネタを見て、ほんわかしてる場合じゃないのだが・・・(汗)




 読んで爆笑したので、入れときます。…(笑)…

 とはいえ、こんな脱力系ニュースではなく、取り上げねばならない、ホットで深刻な中国ネタ(チベット問題と五輪ボイコット)があるのだが…。(汗)

 人権問題や民族問題について、中国に対し、抗議の意を表すのは良いことだとは思う。
 しかし、一方で、やはり政治とスポーツは切り離すべきなのではないか?とも思うし。

 1980年のモスクワ五輪では、何人かの選手にとっては人生が大きく変わってしまった。
 また、確か、数年前、サッカー ワールドカップの予選で、中国人サポーターが、日本の歴史認識に対して抗議の意を表し、
「スポーツの場に、政治問題を持ち込むとは、なんて野蛮(野暮)な」
と非難された。…と記憶している。
posted by 田北知見 at 18:08 | 東京 ???? | Comment(1) | TrackBack(0) | 時事ネタいじり

2008年04月01日

エイプリル・フール向けのパロディサイト。

 きょうはエイプリル・フールということで、「なんちゃってサイト」が数多く出ているようだ。
 私はきょう初めて知ったのだが、大手サイトが、エイプリル・フール向けに、わざわざパロディサイトみたいなのをつくるらしい。

 たとえば、円谷プロ「ウルトラマン」サイト
 2ちゃんねるのパロディらしいのだが、「ウルトラマンだけど何か質問ある?」とか、「ヒマだからちょっと地球制服してくる」「地球に行くとありがちなこと」とか。
 おもしろい。
(一応、リンク貼ってみるけど、4月2日以降は、見れないのだろうか…?)
posted by 田北知見 at 17:33 | 東京 ???? | Comment(0) | TrackBack(0) | 時事ネタいじり

2008年03月27日

不気味・・・




 人通りも、道路を行く車も、異様に少ない。
 雪景色のせいだけでなく、どこか寒々しい。見ていて、なんとなく、ゾッとした。
posted by 田北知見 at 17:25 | 東京 ???? | Comment(0) | TrackBack(0) | 時事ネタいじり

2008年03月24日

或る優秀かつ責任感の強い女性の一生――『天璋院 篤姫』展を見た。

 東京・両国の江戸東京博物館で、『天璋院 篤姫』展を観た。(4月6日まで)

 駅貼りポスターで、天璋院の、きりっとした姿、きかぬ気の強そうな顔と、
「女の道は、前へ進むしかない、
 引き返すのは恥でございます。」
という言葉(キャッチコピー)にシビれて、観に行きたかったのだ。
(以前、西太后展モンゴル競馬の時も書いたが、私はやはり、気の強い女性が好きだ。W)

■篤姫 波乱万丈の人生

 天璋院 篤姫は、幕末の1835(天保6)年に、薩摩で生まれた。

 1856(安政3)年、21歳で徳川将軍家定の正室として輿入れ。
 そのために、彼女はまず薩摩藩主 島津斉彬の養女となり、さらに、右大臣 近衛忠煕の養女となっている。
 当時、こうしたことは珍しくはないけれど、やはり、徳川家から島津家へ「正室を」との話があった時に、上記のややこしい手続きを踏んででも、「ぜひ彼女を」となったのは、一門のなかでも、彼女の賢さ、優秀さゆえなのだろう。

 というのは、当時、家定の次の将軍候補として、紀州藩の家茂と、一橋慶喜の名が挙がっており、一橋派だった斉彬は、篤姫に、大奥からの幕府工作を期待していたらしい。

 しかし、婚礼から、たった1年半後に、家定は病死。篤姫は23歳の若さで未亡人になってしまう。同年、斉彬も死亡。

 篤姫は、期待された幕府工作に力を発揮できず、それどころか、江戸城内(夫)と地元薩摩(養父)の、両方の後ろ盾を失い、どんなに落胆しただろう。
「この先、生きる甲斐は、あるのだろうか」
と思ったのではないか。

 しかしその後、次の将軍 家茂の後見役として、公武一和に側面から尽力。
 また、家茂上洛時には、家茂の正妻 和宮とともに、将軍不在の江戸城の留守をあずかったという。

 さらに時代は変遷し、戊辰戦争に際しての江戸城無血開城や、徳川家安堵にも、側面から尽力したようだ。
「官軍隊長宛 書状」なんかは、読んでて思わず涙ぐんでしまった。

■「なんで私が」と思わなかっただろうか

 篤姫は、藩主一門のお嬢様として生まれ、ふつうだったら、蝶よ花よで育てられ、そのまま奥様となって、何の苦労もない人生が送れたはずだ。
 なのに、賢く優秀で、責任感の強い人だったために、なんだか大変な人生を送ることになってしまった。

 結婚して、あっという間に夫に先立たれた時、
 実家の一門あてに、婚家の者たちの助命嘆願を行なった時、
「なんで私が」
と思わなかっただろうか。
 いや、彼女のことだからきっと、
「これが私の人生なのだ」
と、運命から与えられた役割を、一生懸命、まっとうしたのだろう。
posted by 田北知見 at 18:02 | 東京 ?? | Comment(0) | TrackBack(1) | 趣味に走ってスミマセン